あおば税理士法人は
TKC全国会会員です
TKC全国会
TKC全国会は、租税正義の実現をめざし関与先企業の永続的繁栄に奉仕するわが国最大級の職業会計人集団です。
中国税理士会所属

★お気軽にお問合せください。

 あおば税理士法人

 TEL:086-245-5110

 aoba@tkcnf.or.jp

事務所通信追伸

 事務所通信追伸は、代表である平本が時事情報やその時感じていることをまとめたコラムです。
 お客様企業や金融機関などへ事務所通信とともに毎月お送りしています。
 事務所通信は、税法はもちろん、経営・人事労務などの最新情報をタイムリーに掲載している月刊誌です。ご購読をご希望の方は、事務所までご連絡ください。年間購読料2,400円(消費税等別途)でお送り致します。

2018年10月号


 今回の経営支援セミナーは、ストレスやコミュニケーションをテーマに、NHKスペシャルにも出演経験がある「ストレスマネジメント研究家」堀北祐司氏をお招きします。紹介者によると「笑いあふれる楽しい講演」とのこと。振るってご参加下さい。


 


 私はこの追伸を毎月やっとのことで書いていますが、今回はいよいよネタ切れです。


 指揮者の小澤征爾氏をご存知でしょうか。その小澤氏が年に1度、世界から一流の演奏家を長野県松本市に集めて結成するのがサイトウ・キネン・オーケストラです。2008年の世界ランキングでは第19位の、日本では最高のオーケストラです。

 以前から家内が「一度は聴きたい」と言っていたので、8月末に2人で松本市でのコンサートに足を運びました。素晴らしい演奏でした。普段はオーケストラには入らないメンバーが多いのに、音がピシッとそろっているのが驚異的でした。


 次の日は私の希望で中央アルプス「登山」をしました。長野県南部の駒ヶ根インターからすぐの菅の台からバスに乗って、細い山道をひたすら登るとしらび平に着きます。ここの標高が既に1,662㍍で、鳥取県の大山とほぼ同じ高さです。

 次はロープウェイに乗ります。しらび平駅から標高差950㍍を一気に登って着いた所が千畳敷駅で、標高2,612㍍もあります。ちなみに、標高差950㍍も上の駅の標高2,612㍍も、ロープウェイとしては日本一です。

 長野県南部を南北に連なる中央アルプスの約30㌔東側に長野・山梨の県境を南北に連なる南アルプスがあります。千畳敷駅からはその南アルプスの連山がすべて見渡せ、その上に更に30㌔先にある富士山が頭を出しています。

 千畳敷カールは日本でも典型的な氷河地形です。写真にあるように、太古の氷河がとんでもなく長い時間をかけて山肌を削りながら下って形成されたお椀状の地形です。


 家内は登山を好まないのですが、前日の名演奏が功を奏してか、そこからの山登りにつき合ってくれ、千畳敷カールの上端(写真中央の凹んだ所。標高約2,850㍍)まで登ることができました。絶景でした。


                                    あおば税理士法人

                                    代表社員 平本久雄



2018年9月号

  今年7月に入社いたしました。白鳥増美と申します。

以前は別の職場で接客営業と受付をしておりました。元々人見知りが強く、自分を表現することや、いろんな方と上手に会話をするのが苦手でしたが、そんな自分を変えたいという思いが強くあり、あえて接客営業を選びました。新卒で入社した職場では、言葉遣いや、同僚やお客様に対する気遣い一つ一つを、日々先輩を見て学びました。約5年勤め、まだまだ至らない点は多くありましたが、入社した当時の不安や緊張感はほとんどなくなり、自然といつも笑顔で働けるようになったと思います。職場の方とも、担当させていただいたお客様とも本当に仲良くなれました。同じものを買うのでも、値段やサービスの内容はそれぞれの会社で違います。その中で、担当者が私だという理由で私と契約してくださる方や、何かあるたびに私を訪ねてきてくださる方が増えていくことが、何より嬉しかったですし、自信に繋がりました。つらいこともありましたが、その分強くもなり、自分の考えを持てるようにもなり、居心地の良さや働く中での楽しさをたくさん見つけられました。大学生の時の自分では考えられないほど、前向きに明るくなったと感じます。

こちらのあおば税理士法人で働くこととなり、今はやはり不安と緊張感でいっぱいです。

わからないことも多く、失敗してしまうこともあるかと思いますが、これまでと同じように、先輩を見て一つ一つ学び吸収し、自信をもって働いていけるよう、努力していきます。自分が苦手だと思うことも挑戦していくことで、より強くなって、自信をつけていけたらと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。                                                                                    あおば税理士法人

                                                                                        白鳥 増美 


この度の豪雨災害で被災された方々には、書面ながら心からお見舞いを申し上げます。

さて、入社してまだ一月の白鳥ですが、落ち着いています。ところが、社会人になる前はそうではなかったとのこと。今の彼女を見ると驚きです。人は変わるようです。

彼女は変わったのは文中にあるように「自分を変えたいという思いが強く」あったことが大きいと思います。大したものです。

しかし、逆に「自分は変えたくない」と思っている人もいます。むしろ多いでしょう。

否、一人の人の中で「変えたい」という思いと「変えたくない」という思いと、その両方があるのだと私は考えます。

自分次第で人は変わる。他人が強制しても変わらない。しかし、変わらないから関わらない(傍観する)のは違うのではないか。少なくとも、見守る、時を待つ、そういうことは要るのではないか。そんな風に私は思っています。


                                                                                  あおば税理士法人

                                                                                  代表社員 平本久雄


2018年8月号

314日の日本経済新聞の「大機小機」欄の記事「日本的企業経営の劣化」から一部を引用します。

1990年代後半には、バブル崩壊後の経営悪化を立て直すために、一部の大企業は米国型経営の導入を図った。組織のフラット化、一般職女性の派遣社員による代替(中略)などである。」

「また長期間の安定した勤務であった女性の一般職を大幅に削減していったが、これは各課、係の司書として機能していた人間データベースを減らしたことになり、この結果、組織の記憶が失われたように思う。」

 

文中に「一部の大企業は」とありますが、引用した後半の段落は、われわれ中堅中小企業にも当てはまると私は考えます。

中堅中小企業では軽く見られがちな総務(もちろん女性に限りません)は、思っている以上に大切な存在だと思うのです。なぜなら、優良な経営体質のお客様には、たいてい優秀な総務経理担当の方がいらっしゃいます。

 理由の一つは気づいていました。大企業では人事畑や経理畑出身のトップがいます。最近ではソニーがそうです。対してほとんどの中小企業の経営者は、優秀な営業マンか優秀な職人さんのご出身です。

人間すべてのことが得意な人はいませんから、たいていの中小企業の経営者は総務や経理が苦手な方が多いのです。(そういう意味でも、私どもには「会計を経営に役立てましょう」と申し上げる役割があります。)

ところが、規模が大きくなくても、中小企業にも総務や経理の機能は要ります。経営者を補佐する総務経理の人がしっかりしていることは、中小企業の安定と発展にとって必要条件です。

 

けれども理由はその一つだけではないと考えていたところに、引用した記事を読んで、「総務は会社(組織)の記憶を保持する人間データベースという役割がある」と気づいた次第です。

そして、記憶の中でも最も大切なのは、その会社固有の理念や価値観ではないでしょうか。

 時には総務経理の方の労をねぎらっていただけると私も嬉しいです。

 

         あおば税理士法人 

         代表社員 平本久雄



2018年7月号


皆さんこんにちは、スタッフの井上です。5月より産休・育休から復帰しました。

今回で2度目の復帰ですが、子供が2人になって毎日バタバタしていたからか、もしくは前回より年齢を重ねたからか、復帰してからの「浦島太郎感」が前回以上にひどく、まだまだソワソワしながら働いています。

お休みしていた約9か月は、自分自身を振り返ると、子育てに追われ続けたとても短い期間のように思えます。ですが、3歳になりたての長女と8月末で1歳になる次女は、この9か月で沢山できることが増え、ずいぶん成長しました。また、9か月振りに復帰した事務所にも新入社員や新しいお客様が増え、既存のお客様にも様々な変化があったようです。自分の感覚ではあっという間でも、現実の時間はやっぱりきちんと9か月過ぎていたのだな、と復帰に際して改めて認識できました。

仕事と育児の両立でより一層あっという間に過ぎる日々になると思いますが、一日一日を大事に、少しでも自分自身やお客様の成長や良い変化につなげられるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

                あおば税理士法人

     井上 阿希子   

 

  10年ほど前に女性スタッフから「産休・育休制度を作ってほしい」と言われた時は、内心「全員で5人なのに出来る訳がねぇ」と思いました。しかし、あおば税理士法人の経営理念に「安心して暮らせる職場を創ります」と自分で書いた以上、「できない」とはとても口にはできず、「検討するか」と言いました。

 その後スタッフと話し合いを重ね、同友会で人間性尊重の大切さを学んだり、日経新聞で取り組み記事を読んだりして、私の意識も徐々に変わり、7年前に河田が最初の産休・育休を取得しました。

 井上と河田の2人が各々2回の産休・育休を取った訳で、都合41年前後の不在期間がありました。その間の他のスタッフのがんばりがあってこそ、今でこそ9人になりましたが、小さな事業所に産休・育休制度が定着できたと思います。感謝しています。

 本人達のがんばりももちろんです。合わせて導入した6時間ないし7時間の短時間勤務制度の中で、8時間勤務並かそれ以上の仕事をやってくれています。感謝しています。

 今となれば「出来る訳がない」と思った自分が、とっても恥ずかしい限りです。

 最後になって大変恐縮ながら、お客様方のご理解が何よりありがたいです。心より感謝申し上げ、今後も事務所一同力を合わせて、皆様方の事業が継続し発展されるよう、会計面でのご支援をがんばって参ります。

             あおば税理士法人

             代表社員 平本久雄

          



2018年6月号



岡山同友会の合同入社式の様子が44日の山陽新聞に掲載されました。挨拶しているのが藤井でその左にいるのが山神です。


4月からあおば税理士法人に入社ました、山神正義(やまがみ まさよし)と申します。         

私は小中高と岡山の学校に通い、大学は静岡県の富士山の見える大学に進学し、富士山を見ながら生活していました。その大学もこの春卒業し、生れ育った岡山に就職することができたことを喜ばしく思っています。

私は、大学まで野球をしておりましたが、中高一貫校、ずっと変わらず同じメンバーで戦い最後の夏の大会で一勝できたことが思い出として心に残っています。その野球を通して学んだコツコツ積み上げていく努力、チャレンジ精神を生かし頑張っていきたいと思います。

社会人としての生活がスタートしてまだ1ヶ月、仕事に関してまだまだわからないことばかりですが、先輩のすることをしっかり見て、教えていただくことで一日でも早く所の一員として皆さまのお力になれるよう精進していきたいと思っています。

これからも頑張っていきますのでどうぞよろしくお願い致します。    山神 正義

 


4月に入社しました。藤井麻衣(ふじい まい)と申します。

私は岡山県内の海沿いの地域で生まれ、高校を卒業するまで地元を離れることなく育ちました。卒業後は思い切って東京の大学に進学しましたが、一人暮らし初日からホームシックで涙を流し、駅や町中ではなかなか思った方向に進めず、電車に乗るたびに人に酔ってしまいました。それでも4年間でアルバイトや海外旅行など思いつくままにチャレンジし、充実した時間を過ごすことができました。

初めてのアルバイトはイベントスタッフでした。毎回、新しいメンバーと一緒にアルバイトをするのでたくさんの人と話すことができ、話好きな私にはぴったりでした。大学時代は友達と朝から晩までいろいろなことを話しましたが、最近は1人で家にいる時間が多くなってしまいました。少しでも外に出る時間を増やそうとチャレンジしているのがマラソンです。元々、運動は得意ではないので「1番気軽に始められそう」という理由で選びました。最近参加した大会では、周りの人と話しながら楽しく走れました。まだまだ初心者ですが、これから少しずつ大会にも参加して輪を広げていけたらと思っています。

仕事は慣れないこと、わからないことばかりでご迷惑をおかけすることも多いと思いますが、早く皆様のお力になれるよう努力してまいりますので、ご指導のほどよろしくお願い致します。                                  藤井 麻衣




2018年5月号




3月上旬の瀬戸内倉敷ツーデーマーチに初めて参加し、倉敷市役所から連島大橋を渡って、玉島の円通寺辺りまでの約20㌔を何とか歩きました。

途中の連島西浦小学校でのお昼休憩の時のことです。校庭の隅の石碑の土台に腰掛けて弁当を食べ始めたところ、私より10歳ほど年上の男性が「お隣よろしいか?」と声をかけて来られました。

 (写真はSportsNaviDoHPより)  

この追伸には「人との関わりを大切に」などとよく書いています。ところが、正直に言うと、あれは自分自身に言い聞かせているのです。私は決して人が得意ではありません。


「どうぞ、どうぞ」と返しながらも、その後の言葉が続きません。そんな沈黙の中で知らない者どうしが、一緒に弁当を食べ始めました。


それでも、ややあって後、先方からの「どちらから来られたんですか?」を皮切りにポツリポツリと話が始まりました。


その方(仮にAさんとします)は、姫路から10年連続で参加とのこと。その日はとっても好天でしたが、10年間のうち2回雨にたたられ、合羽を着ての長時間歩行だったそうです。ウォーキング大会参加2回目の私でも、それがいかに大変であるかは容易に想像できます。しかも、Aさんは他のウォーキング大会には参加したことはないと仰います。が、倉敷に特別な何かがある訳ではありません。


私はいつの間にか、Aさんのとつとつとした話しぶりに引き込まれていました。


10年前にAさんは、ある知り合いの方に誘われて、このウォーキング大会に参加し、その方と何年か一緒に歩かれました。ところが、その後その方は亡くなられたのです。


そこで止めても良かったんでしょうが、Aさんはこの大会に一人で参加されるようになりました。(おそらく、亡き人のことを思いながら・・・)


私は何やら心が暖かくなり、「その方はよほど素敵な人だったんでしょうね」と訊きました。その時の「まぁ、ねぇ」と言うAさんの横顔には、人生の喜びも哀しみも噛みしめたような感がありました。


どちらかと言うと人が苦手な自分ですが、お二人から何か大切なことを教わったような気がしました。



 








2018年4月号


TKC全国会の会報に載った、株式会社ブレイド・イン・ブラストの中川理巳社長さんの講演録から以下引用します。

 

「考え方を変えるには『素直な心』も大切です。ホンダ創業者の本田宗一郎氏は、役員を退いたあと、お世話になった全国のディーラーや協力工場に感謝を伝える旅に出ました。

あるディーラーでは列を作って本田さんを出迎え、一人ひとりと握手をしていたのですが、列の後方にいた若い整備士だけ手を引っ込めました。直前までお客様の車の整備をしていたため手がグリースまみれで、このままでは本田さんの手が汚れると思ったからです。

しかし本田さんは、『おいおい、なんで引っ込めるんだ。この手が本田技研を作っている。こういう手が好きなんだよ』と強引に手をつかんで何度も撫でたのです。すると二人の手の上に、その整備士の涙がポトポト落ちたそうです。

感動という言葉はあっても『理動』という言葉はありません。人を動かすのは理屈ではなく感性です。素直な心で社員を褒めれば、社員もだんだん変わってくるのではないでしょうか。」

 

このエピソードから何を感じるかは、人さまざまだと思います。しかし、キーワードの「感動」という言葉の通り、自分が「どう感じるか」と同じく、自分が「どう動くか」が大切ではないかと私は考えます。

中川氏は「素直な心で動きなさい」と言っているようです。私たちは幼い頃から「学びによって知識を身につける」ことを教わります。しかし、要らないこと、余計なことを捨てることも大きな学びなのではないか、と私は思うのです。

かく言う私だって、先輩には深々とお辞儀をするけど、そうでない人には軽く、時には雑な挨拶をしていることがあります。とても恥ずかしいことです。素直に考えれば、人はみな同じなのですから・・・

また、街中の雑踏で困っている人に声をかけられるでしょうか。「今は急いでいる」「人の目があって気恥ずかしい」これらは知恵と言えるでしょうか。要らないこと、余計なことでしかないような気がします。

自分が「どう感じ、どう動くか」を考えさせられました。


 









2018年3月号




  日本経済新聞を読んでいて、昨年あたりから記事の時間と空間が広がったと思います。AIに代表される近未来の事象と、海外の企業の最先端の動向が、多く書かれています。後者については、英国の経済誌FT(ファイナンシャルタイムズ)を傘下に収めたことが功を奏しているようです。(私はネットのニュースもチラチラ見ますが、時間的にも空間的にも近々のニュースがほとんどのように思えます。)


 


 と言いつつ、現在かつ国内の記事にもいいものがあります。「経営者はどれだけ社員と意思疎通できているのか。」という問いかけから始まる「経営の視点」という今年115日の日経新聞の記事がとても印象に残りました。以下に引用します。


「稲盛和夫・京セラ名誉会長は(社員との)信頼関係を築くため細かい努力を積み重ねたという。工場などの現場に赴く。社員に感謝する。コンパを開いて杯を交わす。再建のために会長を務めた日本航空でも同じだった。」


 「クボタの木股昌俊社長は工場の課長時代、小さな事故やケガの多さに悩んでいた。そこで誕生日を迎えた社員一人ひとりに『ケガするなよ』などと声をかけるようにしたら、ピタッと止まったという。」


 「(木股社長は)現場にも頻繁に出向く。(中略)現場視察で大切なのは『ゆっくりヒマそうに歩くこと』(木股社長)。社員が話しかけやすいようにするためだ。」


 「積水ハウスの和田勇会長は月1回、店長など次世代を担う現場のリーダーら約80人を集めて『希望塾』を開く。(中略)和田会長は『インターネットの時代になっても、顔を突き合わせて心を通わせる人間関係が重要』と話す。」


 


 3つとも大企業の話ではありますが、中身はむしろ中小企業の方が実践しやすい事柄だと思います。


では、皆さんはいかがでしょう? 残念ながら自分はできていません。特に2つ目の話になぞらえて、「スタッフが話しかけやすいように、事務所でヒマそうにしているか?」と自問すると、さっぱりダメです。反省しています。


 中堅中小企業の経営者は、作業もしなければならない状況からなかなか抜け出せません。しかし、「作業だけしかできない」ではダメで、社員に声をかける、社員の話を聴く、時には社員を見守るという時間を作ることはとっても大切です。


 

              















2018年2月号



 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、私どもが属する岡山県中小企業家同友会の新春経営講演会のご案内をします。

 講師は伊那食品工業㈱の井上修社長で、演題は「いい会社をつくりましょう~社員のしあわせと『戦わない経営』」です。

 伊那食品工業は、経営の第一目的に「社員の幸福とその幸福を通じての社会貢献」を掲げつつ、48期連続の増収増益を果たすなど、超優良の中堅企業として有名です。

 私はかつて、テレビ東京の「カンブリア宮殿」で前社長の塚越寛氏を知り、今回同氏の著作「いい会社をつくりましょう」を読みました。    (写真は同社HPより)

 

 この本には、急成長を戒める「年輪経営」や社員さんを大切にする意味など、塚越氏の経営哲学が書かれています。が、あえて私が着目したのは社員さん達で、ついては2つのエピソードがあります。

 社員旅行に出かけると、社員さん達がバスの中にピーナッツ1つ落とさないので、バスガイドさんから「あれだけ騒いだのに、こんなにバスをきれいに使う団体はほかにない」と褒められるそうです。

また、社員さんは、スーパーなどの駐車場では、店から一番遠いところに駐車します。なぜなら、店に近いスペースは、妊婦さんやお年寄り、体が不自由な人や荷物の多い人に使ってもらいたいからだそうです。

この2つともが、トップや上司が命令したわけではないようです。おそらく自然とそうなったのです。ここに同社の凄みがあると私は感じました。

是非とも奮ってご参加ください。

                         








2018年1月号




今年の初夏に大阪で半日が空いたので、大阪の東郊にある司馬遼太郎氏の旧宅兼記念館に行ってみました。旧宅は、司馬氏の書斎が生前のまま残されていて、中には入れませんが、庭から硝子越しに執筆中の司馬氏を偲ぶことができます。


また、安藤忠雄氏が設計した記念館は一方が弧になっていて、それに沿った入館口への通路には雑木林が残され、とてもステキな小径になっています。(写真は同館ホームページより)


司馬氏の著書の多くを学生時代に読んだ私は、そこを歩いて行く時、何やら学校の恩師に会いに行くような、ささやかなときめきを感じました。不思議な気分でした。


記念館の中は展示物もありますが、司馬氏の膨大な蔵書(約2万冊)に圧倒されます。


 


 「歴史は単に過去ではなく、現在や未来につながっている」ということを、私は司馬氏から教わりました。


 たとえば、徳川家康は亡くなる時、自分の遺体を西に向かって埋葬するよう遺言を残しました。西国の薩摩と長州が倒幕することを予言していたのです。だから熊本城や姫路城があんなに堅固に築かれたと記憶しています。そして約260年後の西南の役では、家康の命を受けて加藤清正が設計したその熊本城が、西郷隆盛率いる反政府軍を押しとどめた訳です。


 また、廃藩置県の時、明治政府は薩長に協力的だったかどうかで県名を決めました。


沖縄は別として、九州全県は県庁所在地の市名をそのまま県名にしています。鹿児島、熊本、宮崎、大分、佐賀、長崎、福岡です。中四国では山口はもちろん広島も岡山も同様です。しかし、高松県となるはずなのに香川県、松江県となるはずなのに島根県としました。いずれも小さな村の名前を無理に県名にました。要は意地悪です。


 同様に、金沢県を石川県に、名古屋県を愛知県に、前橋県を群馬県に、宇都宮県を栃木県に、仙台県を宮城県に、盛岡県を岩手県に、弘前県を青森県にしました。


 「薩長に一番抵抗した福島県は?」と思いきや、県庁所在地そのものを、本来は会津若松とすべきなのに、当時は寒村だった福島に置いたのです。


 今さら県名を改めるのは難しいでしょう。これはおかしな過去を改めることはとても難しい、ということを示唆しています。悪いことも良いことも、私たち一人ひとりの行動が歴史になり、未来を形づくっていくのです。







2017年12月号


「裏庭の畑に蒔く鶏糞が要る」というお袋を近所のホームセンターに連れて行った時のことです。15kg入りを3袋買って、それを台車に乗せて駐車場に歩いて行く途中で、1番上の1袋が滑り落ちました。すこし下り坂なので台車をどう停めようか私がまごまごしていると、後から歩いてきた若い女性が「拾おうか」と言い、(ハッキリ言って臭い鶏糞の袋を)サッと拾って台車に乗せてくれたのです。一瞬何が起こったのかポカンとしてしまい、その後あわてて追いかけ、「ありがとうございます!」と言いました。


 人との関わりが苦手な若者が増えているらしい世の中で、とても驚き、大変嬉しい出来ごとでした。 夕暮れ時でしたが、ご本人は茶髪で、連れの男性はピアスをしていました。私は二人を「カッコえ~」と思いました。


 自分自身が同じ状況で出来るか自問すると、自分の場合は「無視はしないが、手助けするかどうかちょっと考えてしまう」と思います。この「ちょっと考えてしまう」がくせ者です。


われわれは、考えることはいいことだという思い込みがあるような気がしますが、「こんなときは考えない方がいい」のではないでしょうか。


 前号でも「人と人の関わりの大切さ」に触れました。人と関わることが苦手なのは、若者だけでなく、中年もシニアも大なり小なりあるわけで、私だって正直苦手です。


そんな余計なことは考えず、サッと一歩前に踏み出すだけで素晴らしいことになるのだと、その若者に教えられました。


 

 それから後、岡山駅から新幹線に乗った時のことです。私は3人掛けの窓際の席で、通路側に赤ちゃんを抱っこした若い女性が座りました。ちらっと見ると、(赤子はみんなそうですが)とってもかわいい。


しばらくして、赤ちゃんがむずかって泣き出し、お母さんは席を立ちました。その後、私は少々居眠りを始めました。しばらくして目が覚めると、親子は席に戻っており、赤ちゃんはすやすやと眠っていました。眠くてむずかったようです。


私が降りる新大阪駅が近づき、私は思い切って女性に「かわいいですねっ」と声をかけました。そのお母さんは私に「ありがとうございます。でも、うるさかったでしょう?」と言い、私は「とんでもない。子どもはみんなの宝ですから」と返しました。


 ささやかなやり取りですが、一声かけられたのも「鶏糞事件」があったからこそです.


                          


2017年11月号

  女川の話が続きます。この春亡くなったサラリーマン時代の旧友Kの奥様から、「女川いのちの教科書」という冊子をもらいました。これを書いたのは、震災で多くの尊い命や家を奪われた当時小学校6年生だった子ども達です。女川中学に進学した子ども達は、その3年間で命を守る学習活動を行いました。これはその様々な活動の記録です。

 たとえば、報道された津波の高さが実際と違うことに生徒達は気づきます。女川町は複雑な入り江の奥にあるので、場所によって津波の高さがかなり違ったのです。20㍍の所もあれば34㍍の所もありました。

 そこで生徒達は、女川の町の裏山に21基の石碑を建てることを決意しました。「女川いのちの石碑」です。しかし、その費用は1千万円です。そこで、東京への修学旅行で企業等を訪問しての募金活動やクラウドファンディングのサイト立ち上げから始め、1基また1基と建てて行きました。それは彼らや彼女たちが高校を卒業した今も続いています。

  生徒達がすごいのは「石碑だけじゃダメ。いざという時に一番頼りになるのは、人と人との絆だ!」と考えたことです。いざ震災が来ても避難の声かけが絶対に必要で、そういう絆は普段から作っておかないといけないということです。

  そこで、町民に大がかりなアンケートを行いました。「家族や近所と挨拶を活発にしていますか?」「近所の人の名前を何人知っていますか?」「近所の方と話をしますか?」「どうすれば地域が元気になれますか?」

  アンケート結果に満足できなかった生徒達は、地域の絆を深めるために、「まず学校の中の絆を深めよう!」と考えます。給食の時間や毎日の「朝の会」「帰りの会」の中身を、みんなで考えた工夫を重ねて行き、連帯感を強めるものにして行きました。

  このような一所懸命な中学生の記録を、私は仙台から乗ったやまびこの車中で読みましたが、何やら自分を恥ずかしく感じました。私は「絆」という言葉を軽く考えていたと思います。平穏な時も大変な時も、人と人とのしっかりした絆があってこそ、いのちを守り、そして育むことができることを、女川の中学生から教えられました。

  新幹線の座席で居住まいを正し、「岡山に帰ったら本当の挨拶をしよう」と心に誓った次第です。