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消費税のインボイス制度がスタートしました。お客様方には正直面倒と感じておられる方が少なくないと推察しています。
税負担には公平が求められます。所得税や法人税では、国と納税者(個人と法人)の一対一の関係で公平を考えます。(その意味では所得税の負担を公平にするにはマイナンバーが欠かせません。)
ところが、消費税では国と事業者と消費者の三者が登場します。だから簡単ではありません。消費者が負担した消費税を、皆さま各事業者が申告納税し、それを国が受け取ります。
消費者が公平に負担した消費税が国に極力入るようにするためには、消費税のインボイスは避けて通れないものです。
貧困家庭が多いです。貧困家庭とは、国民の年間所得の中央値の50%(2018年で127万円)に満たない所得水準の家庭のことです。同年の相対的貧困率は15.4%もありました。日本人の6人に1人は貧困ということです。さて、ごくたまに、貧しい子どもが笑顔で100円玉を握りしめて、お菓子を買いに走って行くことがあるかもしれません。そのうち9円は消費税なのです。その大切な大切な9円が国庫にきちんと入るためには、消費税のインボイス制度は必要不可欠なのです。
以下は経営的な視点です。経理事務はとりあえず面倒になりますが、消費税インボイスは将来的には経理事務をかえって合理化に資することが期待されています。単に電子インボイスではなく、その中のデジタルインボイス、中でもおすすめは国際規格のペポルインボイスです。
今までは紙でもらった請求書を人がデータ入力していましたが、デジタルインボイスを使えば支払業務や経理業務を、人がデータ入力せずに確認のみでできるようになります。
デジタルインボイスは、ある時点から加速度的に普及して行くと私は考えています。私どもの事務所でも来月からペポルインボイスの請求書を一部のお客様に発行いたします。自社のDX化のみならず、商取引をスムーズにするために、早めの対応をおすすめします。
日本経済新聞社とテレビ東京の世論調査で、物価高対策としての所得税減税を「適切だとは思わない」が65%、「適切だと思う」が24%でした。(10.30日経新聞)
財政破綻によるハイパーインフレで、皆様方の事業や生活が大変なことにならないか。私は常々心配しています。少子化も大きな問題ですが、国債依存は、将来の子ども達に負担させるという意味では、少子化対策に逆行しているのではないかと思います。
皆様方の事業が継続・発展して、子ども達も幸せになることを切に願っています。
先月、興福寺の多川俊映氏の「外界の存在は客観的なものではなく、個人の心に映ったものにすぎない。」という言葉を紹介しました。
その後、氏の「唯識入門」(2013年 春秋社)を読んでみました。私の理解力不足から、「入門」とありながら難解で、時機をみて再読することとしました。
ただ、唯識も仏教思想の一部であって、その思想の要点を書いた箇所を引用します。
「釈尊は、人間とそれをとりまく自然にその透徹した眼を向けられ、ついに「諸行無常」「諸法無我」という二つの真理を見出されました。諸行無常(平本注 無情ではありません。)とは、自然も、私たちも、すべてはうつろい易く、時々刻々に生滅変化していくものであるということです。そして、そうであるならば、自己に関して永久不変な実体というものなど、あろうはずもないというのが、諸法(平本注 あらゆるもの、一切の現象という意味)無我の意味であります。」
この短い文章の中にも、当然ながら、唯識の考え方を見出すことができます。
さて、多川氏は、日経新聞の「私の履歴書」(2018.11.25)で、詠み人知らずの俗謡を紹介しています。この短歌にも唯識思想が表れています。
「手を打てば 鯉は餌(え)と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢の池」
言葉が少し違うものもありますが、その本質は同じです。
「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」
多川氏の言です。「同じ物音も受け手によってさまざまな違いが生じ、出来事のとらえ方もまちまちで物事をありのままに受け止めるのは難しい。眼に映じる世界も、それぞれなのだ。」
ところで、同じ「私の履歴書」(2018.11.24)で、多川氏はある小説も紹介しています。
「藤沢周平さんの小説は全巻読破し、何度か読み直している。この一遍を挙げるなら
『驟(はし)り雨』。商家に盗みに入るため物陰で見張る男が、通りかかった薄幸の母子の面倒を見ようと決意する。悪人になるつもりの人間が善行を積む。人間の情の不可思議な機微を見事に描き出している。」
私は気分が落ち込んだ(と思える)とき、床につく前にこの25㌻ほどの小品を読みます。もう20回は読んだでしょうか。その度に涙が出て、心が落ち着きます。
奈良の興福寺の中金堂が2018年に再興され、私も見に行きました。真新しいのに古色蒼然たる五重塔と違和感がないのが不思議でした。その再興の指揮を執ったのが興福寺の多川俊映氏です。
同じ年に日本経済新聞の「私の履歴書」に氏の連載があり、11月25日に仏教思想にある「唯識」についての一章がありました。そこから引用です。
「唯識とは一口に言って、あらゆる事柄を心の要素に還元する立場だ。そして、前五識(ぜんごしき 五感覚)と自覚的な意識という表面心(平本注 以上を合わせて六識)だけでなく、潜在する自己愛の末那識(まなしき)と深層心の阿頼耶識(あらやしき)の八識で、私たちの心を重層的に考えるのだ。」
引用を終わります。一読して「人の心は複雑なんだ」とは思いましたが、それ以上の理解は得られませんでした。
昨年にNHKのラジオで多川氏が唯識を解説する連続番組があり、その中の一講で氏の肉声を聴きましたが、とても難解でさっぱり理解できませんでした。
ところが、過日8月13日の日経新聞に多川俊英氏の記事があり、唯識について以下の下りがあり、ほんの少しわかったような気がしました。
「唯識は『外界の存在は客観的なものではなく、個人の心に映ったものにすぎない。』と唱える。この考え方を基礎に、心の多層構造や認知の枠組みを説く。理解が深まれば、自らの生き方を見直す宗教的な契機も訪れる。」
これを読んで私が思い出したのは、亡くなった飯塚毅TKC初代全国会会長の講演です。私の記憶ですが、元会長は以下のように話しています。
「般若心経に無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんに)とある。眼で見るものはあなたの客体であって主体ではない。耳で聞くものはあなたの客体であって主体ではない。鼻で嗅ぐものはあなたの客体であって主体ではない。舌で味わうものはあなたの客体であって主体ではない。身で感じるものはあなたの客体であって主体ではない。そして、意識もあなたの客体であって主体ではない。」
これを聴いた時に最後の一言「意識もあなたの客体であって主体ではない。」が、私はまったく理解できませんでした。しかし、悩みを深めた時によく自分に言い聞かせてみると、本当に少しずつ1㍉ずつ「そうかもしれない…」と思えるのです。
そして、先日の多川氏の「外界の存在は客観的なものではなく、個人の心に映ったものにすぎない。」を読んで、理解に1㌢近づけたような気がしました。何かで悩まれた時に思い出して下さるといいかもしれません。
先月、批評家の若松英輔さんの「人生の隠された意味、人生の秘義を体現する人は、必ずしも世にいう成功者ではない。ひたむきに生きる市井の人たちのなかにも賢者は存在する。」という言葉を紹介し、賢者は、中小企業で働かれている皆さんや、中小企業支援を仕事にされている方々の中にもいるはずだと申し上げました。
小学5年生から高校まで私と同級だった親友KTのお父さんもそうでした。ずいぶん前の追伸で、私の母が農業機械の工場で臨時工として働いていたことを書きました。KTのお父さん(Tさん、以下同じ)はその会社の部長さんで、いわゆる偉い人でした。
母の作業着からは油のにおいがしたことも書きました。その母が一度だけ仕事の愚痴を言ったことがあります。「事務の女性たちが私らを汚そうに見る。」とこぼしたのです。小学生の私はつらかったです。
けれども続けて母はこう言いました。「でも、Tさんは私らにも普通に話をしてくれる」。私はほっとし、Tさんを心から「カッコええ!」と思い、自分もそんな大人になろうと強く思いました。
KTの家はステキな新築で、自分の家はボロかったです。私は劣等感を持っていました。しかし、KTもKTのお母さんも私に普通に接してくれました。
「人はみんなが平等。人に上下はない」という言葉をいくら読んでも、心の底にドンと落ちることはないような気がします。こういう真理(まことのことわり)は、人から学ぶことによってこそ本当に身につくのではないでしょうか。
よく「誰々の形骸(けいがい)から学んだ」と見聞きします。人は、自分が接する人の中に真理を見出し、その人への強い憧れが動機になって、その真理を体得するのだと私は思います。
この春、実家に帰省中のKTから連絡があり、何年かぶりでT家を訪ねました。その2日程前にKTのご両親が2人とも動けなくなって、KTは弟さんと東京から急遽駆けつけたそうです。
90歳にしてなおダンディなTさんは、「平さん(ひらさん)のお母さんはお元気かな?」と尋ねてくれました。母が数年前に他界したことを話すと、Tさんは「そうかな…」と悲しそうにつぶやきました。私は、母がTさんに感謝していたことを話すと、黙って優しく微笑んでくれました。
ご両親は結局、東京近郊の施設に入居することになりました。KTに頼まれて時々ポストをのぞきに行くとき、一抹の寂しさを感じます。けれども、感謝の気持ちを伝えられて、少しだけほっとしています。
この4月から日本経済新聞の詩歌教養のコーナーに「言葉のちから」という連載が始まりました。書き手は若松英輔さんという批評家・随筆家です。初回の記事を読みましたが、私には難解でほとんど理解できず、2回目以降はまったく読みませんでした。
ところが、6月頭の同紙に「購読料改定のお願い」が載り、その直後の10日の記事を(お笑いになって下さい。)飛ばすのはもったいないと思い、読んでみました。たまたまですが、この回だけはよく理解できました。しかもとても共感できたのです。以下、抜粋します。
「書くことは手放すことである。それは手放すことで完成する。」若松氏は書くことを生業にしているので、「仕事とは手放すことである。それは手放すことで完成する。」と読み替えていいでしょう。
「(仕事を手放すことは)自分以外の人に対して行ったよいことや、成し遂げたと思えるようなものすべてにおいて留意すべきことなのだろう。意味あるもの、真の意味で善き出来事にするためには『手放す』さらには『忘れる』という営みの門をくぐらなければならない。」この文だけだと分かりづらいですが、以下の続きを読むと分かります。
「経歴や過去の実績の話を得意げにされると興ざめになる。(中略)過去を誇る人は、もっとも魅力があるのはかつて行ったことではなく、それを昇華させ今、ここに存在しているその人自身であるのを忘れている。」
「過去に失敗を経験した人は、簡単に過去を語らない。それを昇華させ、行動しようとする。そうした人が語り、あるいは語らずとも体現する何かに異様なまでのちからがあるのは、今を生きることの重みを無意識に実感しているからだろう。」
「人生の隠された意味、人生の秘義を体現する人は、必ずしも世にいう成功者ではない。ひたむきに生きる市井の人たちのなかにも賢者は存在する。」
この最後の文章を読んで、私は皆さんのお顔を思い浮かべました。この追伸を読んで下さるのは、中小企業で働かれている方か、あるいは中小企業支援を仕事にされている方です。
皆さんの中で成功を語る人はまれです。(私もそうですが)失敗されたことのある人は少なくないです。しかし、語りません。
そういう皆さんに敬意を抱いて、私どもは仕事をしています。それは皆さんに惹かれるからです。その惹かれる元が何なのかを、曇天に日の光が差すように教えてくれたような気がしたのです。
台湾を旅行してから、その新聞記事に目が行きます。前回大雑把に紹介した台湾の歴史と同様に、現在の台湾情勢についても私の認識がズレていたようです。
5月21日の日経新聞で元シンガポール国連大使のキショール・マブバニ氏が、22年3月に台北を訪問したポンペイオ前米国務長官の発言を取り上げています。それは「米政府は直ちに自由な主権国家として中華民国(台湾)に外交承認を提供すべきだ。」というものです。台湾を独立国家と思っていた私は、ポンペイオ氏の発言を一読しても違和感を持たなかったです。
しかし、マブハニ氏は「極めて危険な物言いだ。」と断言しています。また、先のG7広島サミットでバイデン米大統領は、中国による台湾侵攻を念頭に「大半の同盟国には、中国が一方的に動けば対抗措置を講じるとの明確な理解がある。」と述べながらも「台湾が独立を宣言するとも思わない。」とも話しています。(5月22日同紙)
台湾の人たちはどうでしょう。マブバニ氏の寄稿では、台湾の大学が22年に実施した調査によると「できるだけ早く」独立を支持する人はわずか4.6%だったとあります。
台湾旅行で半日の貸切ツアーに参加しました。初めて乗ったトヨタのレクサスの中で、ガイドのKさん(30代男性)に話を聞きました。「台湾人はみんな中国が好き。」という言葉に中華民族のことを考え、「台湾人の半分は習近平が嫌い。」という言葉に、対中強硬派の民進党支持者と親中派の国民党支持者の意見の相違を感じました。ただ、全有権者の半数近くが無党派層であることを考慮すると、「1/3が嫌い。1/3が好き。」が妥当かもしれません。
中国も侵攻一辺倒ではないようです。5月に来日した孫建国元中国軍副参謀長も「現状変更は不測の事態につながる。現状維持が何より大事だ。」と述べています。(5月23日同紙)
感情的ではなく冷静に、情勢を理解し見極めることが何より大切だと思います。
以上のようなことを考えるのは、台湾海峡のみならず東アジアの平和を願うのはもちろん、個人的に「また行って見たい。」と思うからです。
ガイドのKさんと訪ねたのは、ジブリの「千と千尋の神隠し」のモデルと言われる九份(きゅうふん)と言われる町です。写真のお茶屋で烏龍茶を喫しましたが、独特の幻想的な雰囲気が楽しかったです。
また、旅行後に読み始めた司馬遼太郎の「街道をゆく・台湾紀行」がいいです。氏が行く先々で出会った台湾の人たちが魅力的で、台湾人の歴史的背景についての氏の語り口に温かみがあります。台湾に行かれるならご一読をお勧めします。
「行けるうちに行こう。」と思い、3月に妻と台湾(台北)に行って来ました。旅行をより楽しもうと、事前に台湾の歴史に関する本を2冊読みました。
台湾が歴史上の文献に現れたのは、1544年のポルトガル人の台湾発見が最初です。当時はマレーポリネシア系の先住民の多部族に分かれていました。豊臣秀吉が1593年に使者を台湾に派遣しましたが、その使者は秀吉の書簡を誰に渡すべきかわからなかったと言います。
ちなみに、シラヤ族は外来者や客人を「タイアン」とか「ターヤン」と言い、それを漢民族が「大宛」や「大冤」と呼び、明王朝になって「台湾」と言うようになりました。
その後交易ルートを確保するために進出して来たオランダは1622年に、台湾と大陸の間に位置する澎湖諸島からの撤退を条件に、明王朝から台湾の占領権を得ました。これは大変な好条件ですが、明王朝が台湾を自国の真の領土と見なしていなかった証左と言えます。
オランダの植民地支配は1661年に終わります。近松門左衛門作の「国姓爺合戦」で名高い鄭成功(母は日本人)が清との戦いに敗れ、台湾に移って来たのです。これが中国大陸から台湾への最初の集団移住(鄭成功の軍隊とその家族約3万人)でした。
中国内部の敵対勢力を鎮圧した清は、1683年に鄭氏政権を倒します。しかし、海中の孤島で海賊が多く、逃亡犯や脱走兵など無法者の巣窟だった台湾を、清は軍事的な要衝として領有はしても、消極的な経営しかしませんでした。
それもあって比較的容易に1895年に日本に割譲されました。日本は後藤新平長官の方針もあって、積極的にインフラの整備や教育制度の確立を行います。しかし、それらはあくまで日本のための植民地政策で、反逆者の鎮圧もしています。
1945年の日本の敗戦後に、毛沢東との戦いに敗れた蒋介石が、後に故宮博物院(写真)に収めた膨大な美術品とともに台湾に渡って来ます。今の中華民国は民主主義国家ですが、蒋介石の生前は独裁主義国家でした。1947年の二二八事件では、中国から来た外省人政権が、元の住民である本省人を1ヵ月で約2万8千人も殺害しました。これは当時の人口の200人に1人だったというから驚きです。
中華民国は、1988年に総統に就任した李登輝が民主主義国家にしたと言っていいでしょう。(ちなみに、李氏は京都大学で学び、倉敷中央病院に入院したこともあります。)
要は、オランダ、鄭政権、清、日本、蒋介石政権という外来政権による圧政にずっと苦しんだというのが台湾の歴史です。読んでいて息が詰まりそうでした。また、台湾はずっと「中国」だった訳ではないと私は理解しました。
しかしながら、歴史はさておき、食事は意外にあっさり味でおいしく、台北の街はきれいです。さらに台湾人は日本人に親切で、私は台湾をとても好きになりました。
3月15日の日本経済新聞に、ローソンの竹増貞信社長の記事がありました。三菱商事で畜産部に配属され、米国の豚肉加工子会社で現地従業員との意思疎通に苦闘しながらも、衛生管理や加工技術の向上に成功し、冷蔵や冷凍で鮮度の高い豚肉の輸入増加に貢献しました。
その後帰国しますが、辞令はまさかの広報部勤務でした。商社というところは営業が花形で、それ以外の部署は(大変失礼な言い方ですが)日が当たらないと言っていいでしょう。さらに、おおむね組織は縦割りなので、営業への復帰も期待できなかったと推察します。
「自分はもう営業に必要とされていないのか。」とショックを受け、初めの1年間は毎週末、東京湾に出かけて手こぎボートで浮かび、心を洗わないと出社できないほどだったと言います。
ところが、その広報部で大仕事に遭遇し、それを乗り越え、今があります。そういう人の言葉には重みがあります。「ローソン社長になっても喜怒哀楽の『怒』の感情が出てくる記事は3回読みます。目をそらさず、自らの常識に入り込まずに問題点を学ぶようにしています。」不遇と思われた時期があったからこそできる、のかもしれません。
日経リスキリングというサイトに、2020年に時価総額国内上位50社で最年少の取締役で話題になったリクルートHDの瀬名波文野取締役のインタビュー記事がありました。
精鋭が集う大手企業向けの営業部隊で入社直後に抜群の成績を上げ、経験もないまま志願した英国人材派遣会社の立て直しに苦労しながらも成功したキャリアの持ち主です。
私が注目したのは、仕事への動機づけです。同氏はOECD(経済協力開発機構)のリポートに「世界の約4割の人々は3ヶ月間収入がなければ貧困に陥ってしまう。」というデータを見つけます。仕事というテーマに特化したリクルートだからこそ、その種の社会のマイナスを解消する役割があると自覚したそうです。これが彼女のエネルギーだろうと推察します。
ところが、「もちろん、うまく行かないことの方が圧倒的に多いんです。家ではワーワー声を上げて泣くこともある。」と言います。でも、「最後はおいしいご飯を食べて、よく寝て、起きたら『さあ今日も頑張ろう』って。自分の機嫌ぐらい自分で取ることを大事にしています。」最後の一文くらいは見習おうと思います。
あおば税理士法人のホームページに、「お客様紹介」と「お客様の声」のコーナーがあります。その第4号を株式会社マスカット薬局さんにお願いしました。
同社の経営理念には、「健康、即ち『人の命』生命を大切にしていく」「温かい血の通った組織」「人間尊重の経営」という言葉があります。
また、5つのエンゲージメント(誓約、約束)の中には、「スタッフ全員が対話によって互いの価値を認め合い、心をひとつにします。」とあります。
理念すなわち理想とする信念に掲げるだけでなく、その理想に向けて実践されている所がとっても素晴らしいです。詳しくは私どものホームページから是非ご覧下さい。
(同社のホームページより)
高橋社長さんは私が属する岡山県中小企業家同友会の代表理事でもあり、そこでも「人間尊重」という言葉をよく話されます。今振り返ると、スタッフと自分との関係に悩んでいた以前の私は、それを繰り返し耳にすることで、心底に落ちたのだと思います。
ですから、私どもの事務所の5つの行動指針の最初に「私たちは(お客様ともスタッフとも)お互いの人間性を尊重します。」とあります。この行動指針は、私だけで決めたのではなく、昨年この「追伸」に書いた「みんなで全員の意見を肯定するカードワーク」によって作りました。だから毎朝みんなで唱和ができ、実践につなげられるのです。
マスカット薬局の高橋社長さんのおかげでもあります。
さて、1月23日の日経新聞のトップに「社員の声 聞こえてますか」と載りました。そこには「事業環境が激変する今、硬直した上意下達の組織は成長できない。やりがいを持って課題に挑む、社員一人ひとりの『個の力』」がかつてなく重要になっている。」とありました。月曜日の紙面ながらこういう記事がトップに掲げられたことに、私は時代の趨勢(すうせい)を強く感じました。
人間尊重あるいは人間性尊重は、あるべき理想だと私は思います。しかも、人口も労働力人口もどんどん減少している今の時代にあって、その激変に対応する現実的な思考でもあります。きれいごとではありません。
ここ数年「求人しても人が来ん。」と、業種を問わず多くのお客様が口にされます。そして、そんな声が年々増えているような気がします。実際に日銀の短観によると、全規模全産業の雇用人員判断DI(「過剰」と答えた企業の割合から「不足」と答えた企業の割合を引いた値)は昨年12月時点でマイナス31と、近年では最も深刻だった2018~2019年頃の水準に接近しています。(日経新聞1月9日)
私は数年前から「人手不足で会社が続けられなくならないか。」と心配していましたが、それがどうやら現実になりつつあります。帝国データバンクによると、2022年は人手不足が原因の倒産が前年比で26%も増え140件ありました。人手不足による倒産の増加は3年ぶりで、倒産件数全体の増加率(6%)よりも大きいです。(日経新聞1月13日)
言うまでもなく人口減少と高齢化が進んでいます。当然ながら労働力人口はますます減っていきます。私たち中堅中小企業が生き残っていくためには、人材確保が不可欠です。求人ルートが「ハローワークだけ」では採用は難しいと私は思います。お金をかければいいとも言えませんが、それなりに求人費用、と言うより人材への投資にお金は要るように思えます。
しかし、それ以上に大切なのは「会社や職場の魅力づくり」ではないでしょうか。
さて、1月24日にポンペオ前米国務長官の回顧録が発売されました。1月28日の日経新聞に、同氏が米中央情報局(CIA)長官だった2018年3月に極秘で訪れた北朝鮮で会談した金正恩(キム・ジョンウン)総書記とのやり取りが載っていました。以下は引用です。
ポンペオ氏は2018年3月30日に米国を出発し、北朝鮮の首都平壌を訪問した。金正恩氏は会談で「あなたが現れると思っていなかった。あなたが私を殺そうとしていたのは知っている。」と語りかけた。ポンペオ氏は「まだあなたを殺そうとしている。」と応じ、冗談めかした応酬があった。
中国を巡るやりとりで、ポンペオ氏は「中国は一貫して米国に対し、あなたは米軍が韓国から撤退するのを望んでいると言っている。」と伝えた。すると、金正恩氏はテーブルをたたき大喜びした様子で「中国人は嘘つきだ。」と叫んだという。
中国への根深い不信感をあらわにした金正恩氏の言動は、中国の影響力が強くなりすぎる事態は望ましくなく、バランスを取るには米軍の存在が有用だとする現状認識を映す。
引用を終わります。きわどい冗談に驚きます。また、バランスは確かに重要だと思いました。ミサイル発射や拉致問題で悩ましい隣国ですが、多様性のある対応が要るようです。
城山三郎の「男子の本懐」を読みました。主人公は浜口雄幸(おさち)と井上準之助です。写真は国立国会図書館のサイトからのもので、上が浜口総理大臣、下が井上大蔵大臣です。二人は昭和初期に、金輸出の解禁すなわち金本位制への復帰に取り組みました。
第一次大戦下でやむを得ず金本位制を中止していた世界の主要国は、大戦の終結とともにこの異常な措置を解除しました。他方で日本は金解禁の好機を逸し、そのため円の為替相場が動揺し、慢性的な通貨不足に悩まされていました。この金解禁は歴代内閣の最重要課題だったのです。
ところが、これを実施するには前もって金準備を増やし、強力な緊縮財政により国内物価を引き下げる必要がありました。軍事費削減、行政改革、予想される不景気に反対する軍部、官僚、財界の強い反発が想定されました。にもかかわらず、国際競争力をつけ財政基盤を固めるため、激しい抵抗に臆することなく不退転の決意でこの難関に挑んだのが浜口と井上のコンビでした。
二人は性格的には正反対でした。城山氏は「静の浜口、動の井上」と称しています。浜口は総理就任時の組閣で、特別親しくもなく政治的にも距離があった井上に大蔵大臣就任を請いました。意外に感じた井上も浜口の熱意に押され、金解禁に向けてタッグを組みます。二人とも人の好き嫌いを超越していたのです。
他方、二人に共通していたのは「強烈な左遷時代があった。」ということです。その不遇に二人とも腐らず、浜口は目前の塩業の再編という地味な仕事に粘り強く取り組み、井上は何もすることがないニューヨークでひたすら勉学に励みます。
二人の並々ならぬ努力をここに要約するなど私には不可能ですが、読みながら「今の政治家と違い過ぎる。」と痛切に感じました。アベノミクス以来の積極財政と異常な金融緩和が、当時の状況と似ているように思えてなりません。国民に不人気であっても、腹を据えてやるべき事をやる政治家をわれわれは見出すことはできないのでしょうか。
もう一つの二人の共通点は、二人とも最後は凶弾に倒れたということです。東京の青山墓地には二人の墓が並んで立っているそうです。一度墓参したいと思った次第です。
静岡県は全国一二のわさび生産量を誇り、世界農業遺産に認定されています。その中でも伊豆は有数の産地です。伊豆市内の山間部に10ヵ所以上あるわさび産地では300軒ほどがわさびを栽培しています。静岡にいる息子一家に会う前に家内と伊豆に行き、「わさびの大見屋」を訪ねました。こちらは代々のわさび農家で、16代目の現当主が加工販売店と石庭わさび園を併設しています。
伊豆市のわさび田はほとんどが畳石式です。下層から上層に向けて大中小の石を順に積み上げ、表層部に砂を敷く複層構造です。伊豆は半島ながら山は深く、わさび田近くの天城峠は標高834㍍あり、最高峰の万三郎岳は1,406㍍あります。その天城連山が生む豊富な湧き水をかけ流すことで不純物のろ過や水温の安定、栄養分や酸素の供給を同時に行えます。実際に見たわさび田はとっても美しいものでした。
大見屋ではわさび漬け手造り体験ができます。採れたてのわさびをみじん切りにして、酒粕に混ぜ込みました。帰宅後に食べた自分たち手造りのわさび漬けの味は格別でした。
わさび漬け造りの後には、わさびの茎入りバニラアイスを食べました。その場でおろしたわさびを上に乗せてくれます。これが案外美味しかったです。ちなみに、あのタモリ氏は少し溶かしたアイスにわさびを混ぜ込んで食べるのが大好きだそうです。(これも試してみましたが、わさびをたくさん入れても美味しいです。)
翌日には三島近くの「伊豆わさびミュージアム」へ行きました。以下はそこで仕入れた豆知識です。
そもそもわさびは野生の植物で、その栽培に初めて成功したのは、静岡市の北方の有東木(うとうぎ)の村人でした。そのわさびを徳川家康に献上したところ、家康は「天下の珍味」と絶賛し、その葉が徳川家の家紋の葵に似ていたこともあって、栽培法などを領外に持ち出すことを禁止しました。その後の江戸時代中期、伊豆から有東木に椎茸栽培の技術指導に来ていた男がいました。伊豆への帰郷時に村の娘が、持ち出しが禁じられていたわさびの苗を、お礼としてひそかに男の弁当箱に入れました。それから伊豆でわさび栽培が始まったのです。私の想像ですが、娘はその男に恋心を抱いていたのではないでしょうか。辛いわさびに甘酸っぱい歴史があるのかもしれません。