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事務所通信追伸

事務所通信追伸は、代表である平本が時事情報やその時感じていることをまとめたコラムです。
お客様企業や金融機関などへ事務所通信とともに毎月お送りしています。
事務所通信は、税法はもちろん、経営・人事労務などの最新情報をタイムリーに掲載している月刊誌です。                       ご購読をご希望の方は、事務所までご連絡ください。年間購読料3,000円(送料込み、消費税等別途)でお送りいたします。

2021年8月号

  

 私どもはお客様に、日々の正確な会計データ入力をご指導申し上げています。これは会社法432条に「適時に正確な会計帳簿を作成しなければならない。」とあるからです。

しかし、そこには「法令を遵守しましょう。」より、もっと大きな意味があります。


この記帳義務規定を世界史の視点で見ると、1674年フランスのルイ14世商事王令に由来します。当時のフランスでは経済の衰退に伴い、破産や詐欺破産が社会問題化していました。財務大臣のコルベールの命を受け、破産者の調査をした学者のサヴァリーは、ある共通点に気づきます。


それは、破産した者の会計帳簿の記帳は、たいていの場合いい加減ということです。


偉い!と私が思うのは、サヴァリーのマイナスからプラスへの思考転換です。彼は「では、破産を防止し、むしろ商売を発展させ、本人も国家もよくなるために、記帳を義務化しよう。」と考えたのです。

(日本の道路交通法には「最高速度を超えて進行してはならない。」とありますが、「最高速度以下で進行すれば、目的地に安全にたどり着けますよ。」とも言っていると私は思います。)


こうして、世界で初めての商業帳簿規定である商事王令の第1条に「卸売並びに小売を行う商人は、帳簿を備え、これに一切の取引(中略)を記載しなければならない。」と書かれました。(ちなみに、当時は記帳を始める前に、まっさらの帳簿を教会に持って行き、「私はこの帳簿に真実を記載します。」と神に誓ったそうです。)

                                                       (ジャック・サヴァリー)


サヴァリーは「資産、負債について作成する財産目録によって、自己の営業成績が芳しくないことを知るに至った人たちは、そのような状況を知らない場合に比して、はるかに容易に対応策をとりうることもまた本当である。」と語り、「自分自身に説明し報告すること」の大切さを訴えています。



国税庁の令和元年度分の会社標本調査では、欠損法人割合は61.6%でした。ところが、私どものお客様では、その61.6%以上が逆に黒字です。これは、皆様方の経営努力はもちろんながら、ご自身の会計的状況を自己報告・検証されていることが寄与しているはずです。


私どもがお客様に、破産などもってのほか、継続・発展していただきたいと切に願い、日々の会計データの入力(記帳)を愚直に訴えているのは、以上のような背景があるからです。





2021年7月号

  

20代の頃に無能唱元(むのう しょうげん)氏というお坊さんが書いた本を読みました。ところが、僧侶にしては型破りすぎて、あまりついて行けませんでした。

しかし、60代ともなると「理解不能な部分があっても全否定はよくない。」と思えるようになりました。そして、氏のことを思い出し、別の著書を読んでみました。やはり「それは違うよなぁ。」という所はあるのですが、「そうだよな。」と思える所も多々ありました。


最も印象に残ったのはある人生相談の話です。登校拒否の中学生男子の母親から無能和尚が相談を受けました。ありとあらゆる努力をしても自室に閉じこもったままの息子に父親も母親も疲れ果て、家庭の中は暴力こそないものの暗く険悪な空気に満ちていました。


母親の話を聴いた後で和尚が話した言葉は、なんと「諦めなさい。」の一言でした。人づてにわらにもすがる思いで相談に来ていた彼女は、目を三角にして怒ったそうです。その母親に和尚が放った二言目は「あなたの家庭で一番大切なことは何ですか?」です。戸惑う彼女に和尚は続けます。「家庭は平和が一番でしょう。家族みんなが笑って暮らすこと、これが最も大切ではないですか。それに比べたら学校に行かないことはいいじゃないですか。」


その母親はさすがにすぐには納得できませんでした。しかし、結局は和尚の助言の通り、学校に行きなさいとは一切言わず、家で一緒にテレビを見たりして、とにかく怒らず、笑える時は笑うようにしました。

そうしたら、二ヶ月もたたない内にお子さんは「僕、学校に行く」と言い出し、その後高校受験にもチャレンジすることにしました。


 この話は「肩の力を抜いたら思う通りに動いてくれた。」ではありません。「家庭は平和が一番」だから「ずっと登校拒否でもそれを受け入れる」ということです。

 要は一番大切なことを一番に大切にするということです。一番大切な「家庭の平和」より一番大切ではない「学校に行く」を優先させたから、その家庭はおかしくなったのです。


 私はお恥ずかしながら開業して6年間も赤字で、借入金もここに書けないくらい多かったです。(今ではおかげさまで実質無借金です。感謝。)子煩悩なのに子どもと晩ご飯を一緒に食べられるのはほぼ土日だけでした。今でも後悔しています。


 真理は普遍です。今回の話は会社でも同じだと私は考えます。皆さんは会社で一番大切なことを一番大切にしておられるでしょうか。経営で「何が一番大切か」は家庭以上に難しいです。(必ずしもお金とは限らないような気がします。)




2021年6月号

  

前々回で1932年の五・一五事件で凶弾に倒れた岡山生まれの犬養毅(つよし)について、触れました。犬養首相がその時発した「話せばわかる」という言葉をご存知でしょうか。


 私はよく覚えています。中学生の時、大槻先生というダンディな先生が、「話せばわかる。これほど短く民主主義の本質を表した言葉はない。」と授業で話してくれました。民主主義の大切さとともに「岡山にはすごい人がいた。」という郷土の誇りも教えてもらいました。

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 岡山市の川入にある氏の生家に隣接して、その号を付した犬養木堂(ぼくどう)記念館があります。木堂の業績をしのび、氏の遺品、写真、手紙、書などを展示しています。

 興味深かったのは、木堂の演説の録音が聴けることです。訥々(とつとつ)とした話しぶりの中に独特の品格を感じました。



 「平心」と題する書があります。「天を怨(うら)まず、人を(とが)めず。行いて得ざること有らば、諾(これ)を己(おのれ)に反求す。心境何等(なんら)平静たらん。」


現代語訳には「天をうらまず、人をとがめず。行動して結果を得ることができないならば、その原因を自分に見い出して反省する。この心境があれば、どんな時でも平静であろう。」とあります。


 こういう信念が「話せばわかる。」という一瞬の言葉に結実したのだと私は考えます。自分は日常の不如意から心が波立つ時が少なくないですが、心底に落とし込みたいと思い、メモしました。


日本を含め世界の民主主義が行き詰まっています。しかし、人間性尊重を実現するのが民主主義です。民主主義を否定するのではなく、民主主義の問題は民主主義の実践の中で解決して行くべきだし、それは可能だと私は信じています。

こんな時代だからこそ、犬養木堂の思想を大切にしたいと切に思います。岡山県人であればなおさらです。


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 記念館の中庭にある庭を眺めながら、以上のようなことに思いを巡らせました。春の風が木堂の人柄のように穏やかで、とても落ち着ける時間でした。




2021年5月号

     

 あおば税理士法人のホームページに「お客様紹介・お客様の声」というコーナーがあります。その第3号を医療法人つばささんにお願いしました。


 訪問診療をされているつばさクリニックさんとは、個人創業された2009年からの長いお付き合いです。最初は中村先生、奥様、看護師さん、医療事務さんの4人でスタートされました。創業の2年後の2011年に医療法人化され、今では総勢80人超の大所帯になっておられます。


中村先生はじめスタッフの皆さんに頭が下がるのは、患者さんとそのご家族に向き合う姿勢です。最適な在宅医療の提供はもちろんですが、それを24時間365日されているのは並大抵なことではないと思います。しかも、患者さんとそのご家族にとって何が一番なのかを常に考えておられます。一緒に家庭菜園を見に行く、想い出のカフェに行く、野球観戦に出かける、といった患者さんへの寄り添いをごく自然に実践されています。


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 詳しくは、中村先生の著作「畳の上で死にたい」(幻冬舎)と私どものホームページを是非ご覧下さい。


私は中村先生の著書を読んで、昔読んだ山崎章男さんの「病院で死ぬということ」という本を思い出しました。そこにも「自宅で亡くなることで人の尊厳が保たれる」といったことが書いてあったと記憶しています。


ところで、本の帯に中村先生のネクタイ姿の写真があります。しかし、私は先生のネクタイ姿はもちろん、白衣姿も拝見したことがありません。中村先生が「私たちは患者さんのご自宅に訪問します。だから、普段のままであってほしいから、白衣は着ないです。」と仰っていたことを覚えています。


コロナ禍でご苦労されていることも聞いていますが、中村先生以下スタッフの皆さんのご健勝と益々のご活躍を祈念しています。


 


さて、「市民のひろばおかやま」20213月号の「健康ちょっといい話」に「マスクたるみ」について載っていました。マスクをすることで「見られている」という意識が下がり、鼻呼吸のしづらさから口が半開きになり、口周りの筋肉が緩んでしまい、ひいては顔全体が老けるそうです、意識的に表情筋を鍛える運動を勧められています。詳しくは岡山市のホームページをご覧下さい。




2021年4月号

     



1963年から27年間の永きにわたり、ノートルダム清心女子大学の学長だった渡辺和子氏(2016年没)が、日本経済新聞に連載中の「この父ありて」(梯久美子氏著)というシリーズで紹介されています。


1927年に生まれた渡辺和子さんは、父 渡辺錠太郎からありったけの愛情を注がれて育ちます。この微笑ましい写真(上)は、錠太郎が教育総監になって間もない19358月のものです。


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 その翌年に二・二六事件が起きます。自宅の居間で陸軍大将の父が青年将校から43発もの銃弾を浴びて落命したのを、渡辺和子さんは座卓の蔭から目の当たりにします。室内には弾痕おびただしく、血痕や骨片も飛散していたといいます。わずか9歳で目撃するには、あまりにもむごい現実です。

 ところが、梯氏に問われた渡辺和子さんはこう答えました。


「いいえ、私はあの場にいることができて本当によかった。私がいなければ、父は自分を憎んでいる者たちの中で死ぬことになりました。私は父の最期のときを見守るために、この世に生をうけたのかもしれないと思うときがございます。」


素直に読めば、父を殺した者への憎しみより、父から受けた愛情の方が大きかったということでしょう。

しかし、事実は一つでも人の受け止め方は一人一人みんな違います。「憎しみよりも愛情を思う」という強い意思を持つことを、渡辺和子さんはわれわれに教えてくれているのではないでしょうか。


写真(下)はマザー・テレサ(右)とのものですが、マザーもそういう人だったと私は理解しています。


貧富の格差拡大やコロナ禍で分断しがちな今の時代には、世界中の人が大切にしてほしい智慧だと私は思います。


 

ところで、このシリーズで知った悲しい「岡山つながり」があります。渡辺和子さんは聖心女子大学の新制大学としての第1期生で、女性初の国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんは同期とのこと。緒方貞子さんの曾祖父は1932年の五・一五事件でやはり凶弾に倒れた岡山生まれの犬養毅首相(当時)です。違う意味で世間は狭いです。




 




2021年3月号

     

 

鳥取県に生まれた数理経済学者の宇沢弘文(うざわひろふみ)氏は、米国のシカゴ大学や東京大学で教授を務めましたが、水俣病や成田空港闘争などの現場にも身を投じた人です。

お客様企業の社長さんから宇沢氏の思想の素晴らしさを聞き、「人間の経済」(新潮新書)を読みました。


宇沢教授が在籍した1960年代のシカゴ大学には、市場原理主義の信奉者であるミルトン・フリードマンがいて、「儲けるためならば何をしたっていい。」と叫んでいました。こう書くといかにも過激ですが、1970年代以降の日米の経済政策や企業行動は、ほぼこの考え方に沿っており、そのために現実の人間社会が破壊されてきたと教授は批判しています。


たとえば米国のサブプライムローンは、経済的弱者を踏み台とした悪質な金融商品であるがゆえに破綻し、2008年のリーマン・ショックの引き金になりました。人間のためにならない経済理論に何の意味があるのでしょうか。


宇沢教授は、「大切なものは決してお金に換えてはならない。」と仰います。その「大切なもの」とは、水、空気、土地、自然環境など市場が存在しないものと、教育、医療、農業、金融など市場性がなじまない部分を有するものです。それらを教授は「社会的共通資本」と名付けます。国や地域や人々が一緒に力を合わせて守っていくもの、と私は理解しました。


ですから、地球温暖化対策はもちろん大切ですが、市場原理主義に由来する二酸化炭素の排出権取引は、社会的共通資本をもうけの対象にするという意味で、宇沢氏は批判しています。(この点については、それぞれの国の所得水準に応じて課税する「比例的炭素税」というものを提言されています。)



本を読み終えて、私が小学生の頃に祖母から言われたことを思い出しました。祖父母は島根県の漁村で農業と漁業を営んでいました。昔々ある時に水不足になった時のことです。田に水を引くことは死活問題です。そんな中ある人が「皆さんの田に先に水を引いて下さい。私の田は最後でいいから…」と言い、村の人々は感謝しつつそうしたそうです。

そして秋になりました。村中の田に稲穂が無事に実ったのですが、お米が一番取れたのは、その最後に残った水を引いたその人の田だったそうです。祖母に言われたことを実践できているか、改めて自問する次第です。


宇沢教授は2014年に亡くなられましたが、これからこそ「社会的共通資本」という氏の思想が大切にされる時代であってほしいと私は強く願っています。


 




2021年2月号

     

 

神奈川県の愛川町に「手まり学園」という児童養護施設があります。施設長の藤木宏子(ふじきひろこ)さんのお話を、朝の散歩中にラジオで聴きました


たまたま見たNHKの番組表の「子どもは小さな仏さま」というタイトルが気になり、読み続けると「曹洞宗の教えに根差した児童養護施設の園長・藤木宏子さんは、里親として3人の里子を育てるなど、30年にわたり肉親と暮らせない子どもたちと歩んできた。幼い頃から親しんだ仏教で『利他』の教えと出会い、里親になる決心をしたが、子育ては波乱の連続。問題行動の多さに挫折も味わった。そこで学んだのは、大人目線ではなく、子どもの感性を信じることの大切さ。子どもから『利他』の本質を体得していった藤木さんの半生を伺う。」とありました。


「子どもは小さな仏さま」ということは30分のお話の最後にこう話されました。


「アルコール依存症の母親から離れて、施設にいる子がいます。ここに来た時はタバコの火を押し付けられた跡がありました。それでも『しょうがないんだよ』と心から許しています。現実の世界では飲んだくれだけど、時折見せる優しい目の奥に仏の姿を見、お母さんを大切に思っています。親の本質を見ているのです。私は子どもに利他の心を教えてもらいました。」


私たち大人は人にすぐレッテルを貼ります。毎日の忙しさの中で、人の出方を予想して対応することがある意味では合理的です。しかし、忙しいからそうするのは、それこそ自分が「心を亡くして」いるのかもしれません。人は大人になると仏心をなくしていく、ということでしょうか。


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藤木さんのお話が仏心の空間的な側面とすると、仏心の時間的な側面で思い出したのが、平成18年に岡山の曹源寺の原田正道老師が会報「菩提心をおこしましょう」に書かれた文章です。以下引用します。


 盤珪和尚(江戸時代の禅宗の高僧)が言われます。「よく嫁が憎い、姑が憎いとおっしゃるが、嫁が憎いものではないぞ、姑が憎いものではないぞ。嫁があの時あんなことを言いよった、姑にあの時あんな意地悪をされた、という記憶が憎いのじゃろう。みんな記憶さえ捨ててしまえば、嫁は憎いものではないぞ、姑は憎いものではないぞ。」

 記憶ほど人間に大切なものはありません。記憶の喪失は生活能力の喪失です。しかし、記憶の世界は既に過去の世界であって、現実ではありません。私たちは今という事実に即して生きているのです。無尽蔵の記憶をよくまとめ、必要に応じて正しく使いながら、毎日新しい意識で生活できることを仏道と言います。


 引用を終わります。自分自身の心の有り様(ありよう)を振り返る毎日でありたいです。

 




2021年1月号

     

 

昔も今も平凡な私ですが、中学生の頃、自分というもの、言うなれば自分の個性について考えることがありました。その時に思い至ったのは、自分の個性と言うけれど、両親や先生や同級生など周囲の様々な人達、時代の空気や価値観、過去から現在の書籍などなどから影響を受けていることばかりで、自分のオリジナルな個性などというものは、自分が思っているよりずっと少ないんじゃないか、ということです。ただし、その時は「自分は個性が乏しい、つまらない人間だ。」という、軽い劣等感さえ抱きました。                  


ところが、このささやかな仮説は的外れでもないと、二十数年後に気づかされました。


TKC全国会の創設者である故 飯塚毅(たけし)に「会計人の原点」という著書があります。私たちTKC会員が今でも名誉会長と呼ぶ飯塚氏は、二十歳の時から、那須の雲巌寺(うんがんじ)で植木義雄(ぎゆう)老師(余談ながら岡山県吉備中央町生まれ)に参禅し、つまり禅の指導を受け、悟を開きます。したがって、この本には簿記や会計の話がほとんど出てこず、ひたすら哲学ないし(宗教ではなく)宗教的信念の話が書かれています。

飯塚氏は「本性(個性と言い換えていいかと思います。)などと呼ぶべきものはない。」と語っています。そして「自分の主体の固定的実態はない。」「自分ってこういう人間なんだ、と決めてかかっている人は意外に多いが、これは大きな先入観」と続きます。



二三行で要約できるような書物ではないので、TKC全国会には、この文献を熟読する「原点の会」という輪読会が各地にあります。その会の講師である高橋宗寛(そうかん)和尚(私の恩師の一人です。)は、ある回で「心には『染まる』という特性しかない。」とお話くださいました。これは私の心の底にストンと落ちています。



ところで、私が中学生の頃、「大岡越前」というテレビドラマがあり、その題字は朝比奈宗源(あさひなそうげん)氏によるものでした。この方が臨済宗の老師で、鎌倉の円覚寺の管長だったこと、㈱TKCの二代目社長の飯塚真玄(まさはる)氏が参禅したことを後年知りました。

飯塚毅氏と同じく既に鬼籍に入っておられますが、最近就寝前に、その著書「人はみな仏である」を開きます。朝比奈氏も「われわれもお互いに『オレが』、『オレが』と言っているけれども、『オレ』が本当はないのです。」と語っておられます。



私は「自分」にこだわらないよう心がけてはいます。とっても難しいですが…






2020年12月号

     


 

 かつてある親友が話してくれたことです。

 

 真夏に道路工事の現場を通りかかったら、向こうから小学生を連れたお母さんがやって来た。すれ違いざまに聞いたその母親の言葉が、「○○ちゃん、ちゃんと勉強しないとああなるのよ。」だったそうです。


 正義感の強い親友は激怒していました。「ろくな大人にならんわ。あの子がかわいそうじゃ!」と……私も同感でした。「おじちゃん達ががんばってくれるから、みんなが便利に道路を使えるのよ。」と子どもに話すのが本物の親だと二人で話しました。



  私の娘が中三や高三の頃、私は夜に学習塾に娘を迎えに行っていました。なにせ反抗期なので、車中でちょっと話しかけても「黙っといて」と言われることが多く、たいていは沈黙の時間でした。

 ところが、受験前の真冬のことが多かったですが、一所懸命に道路工事をしている人達を見かけると、娘は「おじちゃん達、がんばっとるなぁ。私もがんばろう。」と話すのです。私は内心「ええ子に育ってくれたなぁ。ありがたい。」としみじみ思ったものです。



以上二つのことを、先月、娘婿と孫と三人で車に乗っていた時に思い出し、ムコ殿に話した次第です。


彼には話しませんでしたが、3年前に亡くなった私の母のことも思い出しました。

私の母は、私が小三の頃から、農機具工場の臨時工として働いていました。夕方帰ってきた母の作業着からは油のにおいがしました。そのにおいに母の仕事の大変さを思いました。(ちなみに、父も作業服を着ての仕事でした。)だから、私は作業着姿の人に敬意を持っています。逆に、油まみれや泥まみれで働く人を見下す人は大嫌いです。

けれども、母に「一所懸命働いてくれて、ありがとう」と話したことはありません。

大学は授業料の高い私立は受験しませんでした。模擬試験で、大の苦手な数学がない難関の某大学を書いてみたら、合格確率75%以上と出ました。しかし、家計のことを考えると、県外に進学させてもらうのが関の山で、模試の結果は両親に一言も話さずじまいです。


そして、初任給135千円の社会人になってから結婚するまで、毎月3万円の仕送りをしましたが、それよりも、先の感謝の言葉を伝えなかったことをずっと後悔しています。

岡山にUターンして近くに住んだのが、多少の罪滅ぼしでしょうか。

それでも、やはり悔やまれます。母は娘の花嫁姿を目にすることなく亡くなりました。その前に、母が目の中に入れても痛くないほどかわいがっていた娘のその一言を、伝えておけばよかったです。





2020年11月号

 

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 野球のダルビッシュ有投手が、大リーグで最多勝を獲得しました。日本人初です。「ハーフですが、気持ちは完全に日本人なので、日本人として嬉しく思います。」とコメントしていました。

 私はこのコメントに、と言うより、彼に「ハーフですが」と言わしめる空気感にやや違和感があります。ハーフだろうがなかろうが、同じ日本人だし、ましてや人の上下はあり得ないです。

 むしろ、ハーフの方が秀でているのかもしれません。高校の時の国語で「混血は純血より優れた能力を持つ可能性が高い。」という一説を読みました。また、世界史では「(一時はヨーロッパを支配したと言っていい)ハプスブルグ家は、純血主義による近親結婚で凋落した。」と学びました。

 ダルビッシュ有投手も、全米オープンテニスで優勝した大坂なおみ選手も、胸を張ってほしいです。


                                      あおば税理士法人

                                        代表社員 平本久雄

  

 今年9月に入社した、安藤悠佳(あんどう はるか)と申します。


 生まれは県北の津山市で、大学から岡山市在住となりました。大学を卒業後は岡山の金融機関に勤務し、そこでは、社会人の基礎からお客さまの大切なお金を守るための知識まで様々な事を学びました。

 前職では多くのお客さまと関わらせていただきましたが、私の上司の口癖は「自分の両親や兄弟にも胸を張って勧められる商品の提案、プランの作成をしよう!」であり、私もそれだけは常に守り、お客さまと接していました。お客さまのニーズを丁寧にお聞きし、お客さまごとに最適な提案を考える…どんな仕事でも必要で、お客さまとwin-winな関係になるためには外せない一歩なのではないかと思います。

 また、その社会経験を通じ、前向きであること、ひたむきであること、誠実であることが、社会の発展に寄与する企業で働く上で不可欠であると感じ、そのような人間になれるよう日々努力をしています。


 この度は、あおば税理士法人にご縁があり入社しました。これから、業務に必要な知識を習得し、一日も早く一人前になれるよう日々精進して参り、いずれ皆さまのお目にかかれる日が来ることを心より願っております。


 今年は新型コロナウイルスなどの影響で大変な日々をお送りのことと存じておりますが、皆さまにおかれましては、どうぞご自愛ください。

 かく言う私も食べることが好きで、趣味の料理を家で作っているのですが、たまには、皆で外食もしたいな…と、一日も早くコロナ収束後の世界を願っています。


あおば税理士法人    

                                               安藤 悠佳  


2020年10月号

  




35年前の812日に起きた日航123便墜落事故は、その2か月前に交通事故で父を亡くした自分にとって、いまだに心に残るものがあります。ネットで見つけた上毛新聞(群馬県)の記事から引用(一部改編)します。




35年前、当時17歳だった東京都の木内志津子さんは、自宅で受験勉強中に事故を知った。犠牲になったのは大阪府の高校生 木内静子さん(当時17)。友人と神奈川県内を旅行し、帰る途中だった。ニュースの字幕の同姓同名「キウチ シズコ」を見て、志津子さんは眠れないほど動揺したという。

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 「人生を歩みたくても歩めなかった同い年の女の子がいた。」毎年の命日には手を合わせて祈り、事故の写真展も見に行った。ずっと静子さんや家族のことが心に引っ掛かっていた。


 2005年、志津子さんは偶然、静子さんのことを伝える新聞記事を見つけ、それから5年後に思い切って静子さんの母親に手紙を書いた。手紙や電話での交流が始まった。静子さんはチェッカーズの藤井フミヤさんや事故前年に発売された菓子「コアラのマーチ」が好きだったと知った。血のつながりはもちろん、面識もない。それでも志津子さんにとって第二の家族のような存在になっていった。

 4日。志津子さんは濃緑に包まれた登山道で尾根を目指した。10年ほど介護してきた両親をみとり、初めて慰霊登山を決めた。墓標を前に35年分の思いを伝えた。「落ち込んだとき、めそめそしたとき、静子さんの存在がいつもそばにありました。静子さんの分まで強く生きていきたい。」涙ながらに「コアラのマーチ」を供えると「やっと会えた」と表情を緩ませた。


 静子さんの家族は事故の翌年、大阪府から群馬県の沼田市に移住した。毎年、誕生日のある5月と命日の812日には慰霊登山を続けてきた。母親(74)は「今でも夢に出てきてほしいと思うほどかわいかった。事故から35年がたっても思いは同じ。しーちゃんに会いたい。」最愛の娘を失った苦悩は今なお消えることはない。それでも、静子さんを思い続けてくれる志津子さんの存在が一筋の光になってきたという。
 母親は「しーちゃんをずっと思ってくれる志津子さんの存在はありがたい」と語った。来年は、夫婦と志津子さんの三人で、御巣鷹山に登る。



 引用を終わります。文中に「血のつながりはもちろん、面識もない。」とあります。それでも、二人のシズコさんはつながっている。この人と人の不思議なご縁を、コロナ禍で人と人のつながりがますます薄くなっていく中で、大切にしたいと私は強く思います。




2020年9月号

  

コロナショックが続いていますが、税理士の私は、日本の財政状態も気になります。

 74日の日本経済新聞のコラム「大機小機」では、「タガが外れた財政のツケ」と題して、財政の均衡化への努力を訴えています。

 6月に32兆円もの第2次補正予算が成立しました。4月の第1次補正予算と合わせると50兆円を超え、その大部分が国債発行で賄われます。

 コラムは「現在の政権は、いくら国債を発行しても、日本銀行がそれを際限なく購入すれば、誰も財政負担をしなくてよいというおとぎ話を信じているのだろうか。そうでないことを切に願いたい。」と結んでいます。


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今回も引用した日経新聞以外では、NHKニュースとヤフーニュース位しか私は見ていませんが、コロナショックへの経済対策の報道は多々あっても、大量の国債発行のツケをどうするかの報道は、極めて少ないです。

 東日本大震災からの復興費用については、プラス2.1%の復興特別所得税やプラス10%の復興法人特別税が創設されましたが、今回は増税の話をほとんど耳にしません。

「こんな時に増税を言うのか?」とお叱りを受けるかもしれませんが、ヘリコプターマネーのようなおとぎ話はあり得ないだろうと、私は考えています。国が支出したお金は、いつかは国民に負担が回って来るはずです。このことを直視しない今の日本に不安を感じます。



 コロナショックで大変なご苦労をされているお客様が、補助金や無利息の融資を受けられるのは、とてもありがたく感じます。しかし、いつか財政が破綻して、ハイパーインフレにでもなれば、元も子もありません。


東日本大震災の翌年、民主党、自民党(当時総裁だった谷垣氏は税理士です。)、公明党の三党合意で成立した「社会保障と税の一体改革」を私は評価しています。(あの合意が今もあれば、全国民への10万円バラマキよりも別の良い方法をとれたと思います。)

 先の三党合意には、未来の日本、こども達の未来を思う政治家の気概が感じられました。いま一度、有権者も政治家も、おとぎ話ではなく原理原則を素直に見つめてほしいと、私は切に願っています