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2021年3月号

     

 

鳥取県に生まれた数理経済学者の宇沢弘文(うざわひろふみ)氏は、米国のシカゴ大学や東京大学で教授を務めましたが、水俣病や成田空港闘争などの現場にも身を投じた人です。

お客様企業の社長さんから宇沢氏の思想の素晴らしさを聞き、「人間の経済」(新潮新書)を読みました。


宇沢教授が在籍した1960年代のシカゴ大学には、市場原理主義の信奉者であるミルトン・フリードマンがいて、「儲けるためならば何をしたっていい。」と叫んでいました。こう書くといかにも過激ですが、1970年代以降の日米の経済政策や企業行動は、ほぼこの考え方に沿っており、そのために現実の人間社会が破壊されてきたと教授は批判しています。


たとえば米国のサブプライムローンは、経済的弱者を踏み台とした悪質な金融商品であるがゆえに破綻し、2008年のリーマン・ショックの引き金になりました。人間のためにならない経済理論に何の意味があるのでしょうか。

宇沢教授は、「大切なものは決してお金に換えてはならない。」と仰います。その「大切なもの」とは、水、空気、土地、自然環境など市場が存在しないものと、教育、医療、農業、金融など市場性がなじまない部分を有するものです。それらを教授は「社会的共通資本」と名付けます。国や地域や人々が一緒に力を合わせて守っていくもの、と私は理解しました。

ですから、地球温暖化対策はもちろん大切ですが、市場原理主義に由来する二酸化炭素の排出権取引は、社会的共通資本をもうけの対象にするという意味で、宇沢氏は批判しています。(この点については、それぞれの国の所得水準に応じて課税する「比例的炭素税」というものを提言されています。)


本を読み終えて、私が小学生の頃に祖母から言われたことを思い出しました。祖父母は島根県の漁村で農業と漁業を営んでいました。昔々ある時に水不足になった時のことです。田に水を引くことは死活問題です。そんな中ある人が「皆さんの田に先に水を引いて下さい。私の田は最後でいいから…」と言い、村の人々は感謝しつつそうしたそうです。

そして秋になりました。村中の田に稲穂が無事に実ったのですが、お米が一番取れたのは、その最後に残った水を引いたその人の田だったそうです。祖母に言われたことを実践できているか、改めて自問する次第です。


宇沢教授は2014年に亡くなられましたが、これからこそ「社会的共通資本」という氏の思想が大切にされる時代であってほしいと私は強く願っています。


 




2021年2月号

     

 

神奈川県の愛川町に「手まり学園」という児童養護施設があります。施設長の藤木宏子(ふじきひろこ)さんのお話を、朝の散歩中にラジオで聴きました


たまたま見たNHKの番組表の「子どもは小さな仏さま」というタイトルが気になり、読み続けると「曹洞宗の教えに根差した児童養護施設の園長・藤木宏子さんは、里親として3人の里子を育てるなど、30年にわたり肉親と暮らせない子どもたちと歩んできた。幼い頃から親しんだ仏教で『利他』の教えと出会い、里親になる決心をしたが、子育ては波乱の連続。問題行動の多さに挫折も味わった。そこで学んだのは、大人目線ではなく、子どもの感性を信じることの大切さ。子どもから『利他』の本質を体得していった藤木さんの半生を伺う。」とありました。

「子どもは小さな仏さま」ということは30分のお話の最後にこう話されました。

「アルコール依存症の母親から離れて、施設にいる子がいます。ここに来た時はタバコの火を押し付けられた跡がありました。それでも『しょうがないんだよ』と心から許しています。現実の世界では飲んだくれだけど、時折見せる優しい目の奥に仏の姿を見、お母さんを大切に思っています。親の本質を見ているのです。私は子どもに利他の心を教えてもらいました。」


私たち大人は人にすぐレッテルを貼ります。毎日の忙しさの中で、人の出方を予想して対応することがある意味では合理的です。しかし、忙しいからそうするのは、それこそ自分が「心を亡くして」いるのかもしれません。人は大人になると仏心をなくしていく、ということでしょうか。


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藤木さんのお話が仏心の空間的な側面とすると、仏心の時間的な側面で思い出したのが、平成18年に岡山の曹源寺の原田正道老師が会報「菩提心をおこしましょう」に書かれた文章です。以下引用します。


 盤珪和尚(江戸時代の禅宗の高僧)が言われます。「よく嫁が憎い、姑が憎いとおっしゃるが、嫁が憎いものではないぞ、姑が憎いものではないぞ。嫁があの時あんなことを言いよった、姑にあの時あんな意地悪をされた、という記憶が憎いのじゃろう。みんな記憶さえ捨ててしまえば、嫁は憎いものではないぞ、姑は憎いものではないぞ。」

 記憶ほど人間に大切なものはありません。記憶の喪失は生活能力の喪失です。しかし、記憶の世界は既に過去の世界であって、現実ではありません。私たちは今という事実に即して生きているのです。無尽蔵の記憶をよくまとめ、必要に応じて正しく使いながら、毎日新しい意識で生活できることを仏道と言います。

 引用を終わります。自分自身の心の有り様(ありよう)を振り返る毎日でありたいです。

 




2021年1月号

     

 

昔も今も平凡な私ですが、中学生の頃、自分というもの、言うなれば自分の個性について考えることがありました。その時に思い至ったのは、自分の個性と言うけれど、両親や先生や同級生など周囲の様々な人達、時代の空気や価値観、過去から現在の書籍などなどから影響を受けていることばかりで、自分のオリジナルな個性などというものは、自分が思っているよりずっと少ないんじゃないか、ということです。ただし、その時は「自分は個性が乏しい、つまらない人間だ。」という、軽い劣等感さえ抱きました。                  


ところが、このささやかな仮説は的外れでもないと、二十数年後に気づかされました。

TKC全国会の創設者である故 飯塚毅(たけし)に「会計人の原点」という著書があります。私たちTKC会員が今でも名誉会長と呼ぶ飯塚氏は、二十歳の時から、那須の雲巌寺(うんがんじ)で植木義雄(ぎゆう)老師(余談ながら岡山県吉備中央町生まれ)に参禅し、つまり禅の指導を受け、悟を開きます。したがって、この本には簿記や会計の話がほとんど出てこず、ひたすら哲学ないし(宗教ではなく)宗教的信念の話が書かれています。

飯塚氏は「本性(個性と言い換えていいかと思います。)などと呼ぶべきものはない。」と語っています。そして「自分の主体の固定的実態はない。」「自分ってこういう人間なんだ、と決めてかかっている人は意外に多いが、これは大きな先入観」と続きます。


二三行で要約できるような書物ではないので、TKC全国会には、この文献を熟読する「原点の会」という輪読会が各地にあります。その会の講師である高橋宗寛(そうかん)和尚(私の恩師の一人です。)は、ある回で「心には『染まる』という特性しかない。」とお話くださいました。これは私の心の底にストンと落ちています。


ところで、私が中学生の頃、「大岡越前」というテレビドラマがあり、その題字は朝比奈宗源(あさひなそうげん)氏によるものでした。この方が臨済宗の老師で、鎌倉の円覚寺の管長だったこと、㈱TKCの二代目社長の飯塚真玄(まさはる)氏が参禅したことを後年知りました。

飯塚毅氏と同じく既に鬼籍に入っておられますが、最近就寝前に、その著書「人はみな仏である」を開きます。朝比奈氏も「われわれもお互いに『オレが』、『オレが』と言っているけれども、『オレ』が本当はないのです。」と語っておられます。


私は「自分」にこだわらないよう心がけてはいます。とっても難しいですが…






2020年12月号

     


 

 かつてある親友が話してくれたことです。真夏に道路工事の現場を通りかかったら、向こうから小学生を連れたお母さんがやって来た。すれ違いざまに聞いたその母親の言葉が、「○○ちゃん、ちゃんと勉強しないとああなるのよ。」だったそうです。

 正義感の強い親友は激怒していました。「ろくな大人にならんわ。あの子がかわいそうじゃ!」と……私も同感でした。「おじちゃん達ががんばってくれるから、みんなが便利に道路を使えるのよ。」と子どもに話すのが本物の親だと二人で話しました。


  私の娘が中三や高三の頃、私は夜に学習塾に娘を迎えに行っていました。なにせ反抗期なので、車中でちょっと話しかけても「黙っといて」と言われることが多く、たいていは沈黙の時間でした。

 ところが、受験前の真冬のことが多かったですが、一所懸命に道路工事をしている人達を見かけると、娘は「おじちゃん達、がんばっとるなぁ。私もがんばろう。」と話すのです。私は内心「ええ子に育ってくれたなぁ。ありがたい。」としみじみ思ったものです。



以上二つのことを、先月、娘婿と孫と三人で車に乗っていた時に思い出し、ムコ殿に話した次第です。

彼には話しませんでしたが、3年前に亡くなった私の母のことも思い出しました。

私の母は、私が小三の頃から、農機具工場の臨時工として働いていました。夕方帰ってきた母の作業着からは油のにおいがしました。そのにおいに母の仕事の大変さを思いました。(ちなみに、父も作業服を着ての仕事でした。)だから、私は作業着姿の人に敬意を持っています。逆に、油まみれや泥まみれで働く人を見下す人は大嫌いです。

けれども、母に「一所懸命働いてくれて、ありがとう」と話したことはありません。

大学は授業料の高い私立は受験しませんでした。模擬試験で、大の苦手な数学がない難関の某大学を書いてみたら、合格確率75%以上と出ました。しかし、家計のことを考えると、県外に進学させてもらうのが関の山で、模試の結果は両親に一言も話さずじまいです。

そして、初任給135千円の社会人になってから結婚するまで、毎月3万円の仕送りをしましたが、それよりも、先の感謝の言葉を伝えなかったことをずっと後悔しています。

岡山にUターンして近くに住んだのが、多少の罪滅ぼしでしょうか。

それでも、やはり悔やまれます。母は娘の花嫁姿を目にすることなく亡くなりました。その前に、母が目の中に入れても痛くないほどかわいがっていた娘のその一言を、伝えておけばよかったです。





2020年11月号

 

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 野球のダルビッシュ有投手が、大リーグで最多勝を獲得しました。日本人初です。「ハーフですが、気持ちは完全に日本人なので、日本人として嬉しく思います。」とコメントしていました。

 私はこのコメントに、と言うより、彼に「ハーフですが」と言わしめる空気感にやや違和感があります。ハーフだろうがなかろうが、同じ日本人だし、ましてや人の上下はあり得ないです。

 むしろ、ハーフの方が秀でているのかもしれません。高校の時の国語で「混血は純血より優れた能力を持つ可能性が高い。」という一説を読みました。また、世界史では「(一時はヨーロッパを支配したと言っていい)ハプスブルグ家は、純血主義による近親結婚で凋落した。」と学びました。

 ダルビッシュ有投手も、全米オープンテニスで優勝した大坂なおみ選手も、胸を張ってほしいです。


                                      あおば税理士法人

                                        代表社員 平本久雄

  

 今年9月に入社した、安藤悠佳(あんどう はるか)と申します。

 生まれは県北の津山市で、大学から岡山市在住となりました。大学を卒業後は岡山の金融機関に勤務し、そこでは、社会人の基礎からお客さまの大切なお金を守るための知識まで様々な事を学びました。前職では多くのお客さまと関わらせていただきましたが、私の上司の口癖は「自分の両親や兄弟にも胸を張って勧められる商品の提案、プランの作成をしよう!」であり、私もそれだけは常に守り、お客さまと接していました。お客さまのニーズを丁寧にお聞きし、お客さまごとに最適な提案を考える…どんな仕事でも必要で、お客さまとwin-winな関係になるためには外せない一歩なのではないかと思います。また、その社会経験を通じ、前向きであること、ひたむきであること、誠実であることが、社会の発展に寄与する企業で働く上で不可欠であると感じ、そのような人間になれるよう日々努力をしています。


 この度は、あおば税理士法人にご縁があり入社しました。これから、業務に必要な知識を習得し、一日も早く一人前になれるよう日々精進して参り、いずれ皆さまのお目にかかれる日が来ることを心より願っております。今年は新型コロナウイルスなどの影響で大変な日々をお送りのことと存じておりますが、皆さまにおかれましては、どうぞご自愛ください。かく言う私も食べることが好きで、趣味の料理を家で作っているのですが、たまには、皆で外食もしたいな…と、一日も早くコロナ収束後の世界を願っています。


あおば税理士法人    

                                        安藤 悠佳  


2020年10月号

  




35年前の812日に起きた日航123便墜落事故は、その2か月前に交通事故で父を亡くした自分にとって、いまだに心に残るものがあります。ネットで見つけた上毛新聞(群馬県)の記事から引用(一部改編)します。



35年前、当時17歳だった東京都の木内志津子さんは、自宅で受験勉強中に事故を知った。犠牲になったのは大阪府の高校生 木内静子さん(当時17)。友人と神奈川県内を旅行し、帰る途中だった。ニュースの字幕の同姓同名「キウチ シズコ」を見て、志津子さんは眠れないほど動揺したという。

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 「人生を歩みたくても歩めなかった同い年の女の子がいた。」毎年の命日には手を合わせて祈り、事故の写真展も見に行った。ずっと静子さんや家族のことが心に引っ掛かっていた。
 2005年、志津子さんは偶然、静子さんのことを伝える新聞記事を見つけ、それから5年後に思い切って静子さんの母親に手紙を書いた。手紙や電話での交流が始まった。静子さんはチェッカーズの藤井フミヤさんや事故前年に発売された菓子「コアラのマーチ」が好きだったと知った。血のつながりはもちろん、面識もない。それでも志津子さんにとって第二の家族のような存在になっていった。
 4日。志津子さんは濃緑に包まれた登山道で尾根を目指した。10年ほど介護してきた両親をみとり、初めて慰霊登山を決めた。墓標を前に35年分の思いを伝えた。「落ち込んだとき、めそめそしたとき、静子さんの存在がいつもそばにありました。静子さんの分まで強く生きていきたい。」涙ながらに「コアラのマーチ」を供えると「やっと会えた」と表情を緩ませた。
 静子さんの家族は事故の翌年、大阪府から群馬県の沼田市に移住した。毎年、誕生日のある5月と命日の812日には慰霊登山を続けてきた。母親(74)は「今でも夢に出てきてほしいと思うほどかわいかった。事故から35年がたっても思いは同じ。しーちゃんに会いたい。」最愛の娘を失った苦悩は今なお消えることはない。それでも、静子さんを思い続けてくれる志津子さんの存在が一筋の光になってきたという。
 母親は「しーちゃんをずっと思ってくれる志津子さんの存在はありがたい」と語った。来年は、夫婦と志津子さんの三人で、御巣鷹山に登る。


 引用を終わります。文中に「血のつながりはもちろん、面識もない。」とあります。それでも、二人のシズコさんはつながっている。この人と人の不思議なご縁を、コロナ禍で人と人のつながりがますます薄くなっていく中で、大切にしたいと私は強く思います。




2020年9月号

  

コロナショックが続いていますが、税理士の私は、日本の財政状態も気になります。

 74日の日本経済新聞のコラム「大機小機」では、「タガが外れた財政のツケ」と題して、財政の均衡化への努力を訴えています。

 6月に32兆円もの第2次補正予算が成立しました。4月の第1次補正予算と合わせると50兆円を超え、その大部分が国債発行で賄われます。

 コラムは「現在の政権は、いくら国債を発行しても、日本銀行がそれを際限なく購入すれば、誰も財政負担をしなくてよいというおとぎ話を信じているのだろうか。そうでないことを切に願いたい。」と結んでいます。


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今回も引用した日経新聞以外では、NHKニュースとヤフーニュース位しか私は見ていませんが、コロナショックへの経済対策の報道は多々あっても、大量の国債発行のツケをどうするかの報道は、極めて少ないです。

 東日本大震災からの復興費用については、プラス2.1%の復興特別所得税やプラス10%の復興法人特別税が創設されましたが、今回は増税の話をほとんど耳にしません。

「こんな時に増税を言うのか?」とお叱りを受けるかもしれませんが、ヘリコプターマネーのようなおとぎ話はあり得ないだろうと、私は考えています。国が支出したお金は、いつかは国民に負担が回って来るはずです。このことを直視しない今の日本に不安を感じます。

 コロナショックで大変なご苦労をされているお客様が、補助金や無利息の融資を受けられるのは、とてもありがたく感じます。しかし、いつか財政が破綻して、ハイパーインフレにでもなれば、元も子もありません。


東日本大震災の翌年、民主党、自民党(当時総裁だった谷垣氏は税理士です。)、公明党の三党合意で成立した「社会保障と税の一体改革」を私は評価しています。(あの合意が今もあれば、全国民への10万円バラマキよりも別の良い方法をとれたと思います。)

 先の三党合意には、未来の日本、こども達の未来を思う政治家の気概が感じられました。いま一度、有権者も政治家も、おとぎ話ではなく原理原則を素直に見つめてほしいと、私は切に願っています。




2020年8月号

    以下、65日の日本経済新聞のコラム「春秋」から引用します。

 これぞ芸の極み、と忘れられない思い出がある。25年ほど前、名古屋であった古今亭志ん朝さんの落語会。演目は十八番の「幾代餅(いくよもち)」だった。搗()き米屋の奉公人、清蔵が花魁(おいらん)、幾代太夫の錦絵を見て一目ぼれし、1年間必死に働いたお金で吉原へ会いに行くという噺(はなし)だ。

 いちずで真っ正直な清蔵に心動かされた幾代太夫が、「ぬし、あちきを女房にしてくんなますか」と問う。その瞬間、志ん朝さんが幾代太夫に見えた。失礼ながら外見でいえば、志ん朝さんとはまさに正反対。それなのにそこには確かに目をうるませた幾代太夫が、膝を斜めにして座っている――。しばらく動けなかった。


 新型コロナの影響で、各地の寄席や落語会は休演が続いている。インターネットを通じ落語の魅力に接する機会はあるが、やはり寂しい。動画投稿サイトで高座を生配信していた春風亭一之輔さんは「面白さは百分の一も伝わらないと思う。それでも、落語を忘れないでいてもらうためにやりました」と本紙に語っている。     

 引用を終わります。私も同じような経験があります。

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桂米朝さん(2015年没)の岡山市民文化ホールでの落語でした。その時既に人間国宝だった米朝師匠のお話に、私の全身がすーっと引き込まれたのです。目の前の景色、私の前に大勢の聴き手がいて、その向こうの舞台の真ん中に米朝師匠が座っている、その景色がすっ飛んで、米朝師匠が語る江戸時代の大坂の町並みの景色が見えたのです。ほんの一瞬でしたが、「耳で景色を見た」不思議な出来事でした。


 春風亭一之輔さんの「(インターネットでは)面白さは百分の一も伝わらない」とのお話はよくわかります。米朝師匠がテレビカメラの前で演じた映像を視聴しても、あんな不思議な出来事は起きなかったでしょう。やはり、米朝師匠の目の前に自分も含め大勢の聴き手がいて、その聴き手が熱心に聴き入っていたからこそ、話し手の芸が至高を極めたのだと私は思っています。


元の日々に戻ったら、落語も大いに楽しみたいです。





2020年7月号

もともと私はマスクが苦手です。着用が煩わしいからです。私はメガネをよく外しますが、それと同じ理由です。

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恐縮しつつ申し上げると、人がしているのも少々苦手感があります。(医療や調理に従事されている方、病気の方はもちろん別です。)

それはその人の表情がわかりづらく、気持ちもわかりにくいからです。普段の信頼関係ができていれば、気になりません。けれども、特に初対面でマスク着用の人とだと、表情や気持ちがわかりにくく、話を聞くにも話をするにも難しさを感じます。

 しかし、言うまでもなく、現在のこういう状況では、そういうことを言ってはいられません。私もマスクをなるべく着用しています。


 自分が気になるのは、新型コロナの収束後のことです。「以前の状態に戻らない」とか、「以前より良い状態にする」とかよく言われます。

 後者の例としては、先月号に書いた「意味のない会議はしない」があります。在宅勤務を取り入れて大都会の通勤ラッシュが緩和されるのもいいと思います。

 けれども、「新しい生活様式」のすべてを収束後も続けることに、私は少し違和感を覚えます。一番気になるのは、「人との距離を取る」ことで、人と人の関わりがますます薄くならないかということです。レジで間を空けて並ぶのはいいです。そういうことではなく、気持ちと気持ちの通い合いが減ることを心配しています。

 「人との距離を取る」ことにこだわって、人と話さない人が増えないか、社会から孤立した人が増えないか、大げさかもしれませんが、それが生命の軽視につながらないでしょうか。新たな感染症による死者は防げても、大きくは戦争、飢餓、身近には生活苦、児童への虐待、こういったことによる死者が増えては何にもなりません。

 新型コロナ収束後の「新しい生活様式」を考えるのは、いま始まったばかりだと私は思っています。


 話をマスクに戻します。今はせざるを得ないのですが、みなさんは呼吸が浅くなっていませんか? 曹源寺の原田老師が、「現代人は呼吸が浅い。それでは肺の中がよどんだままなので、細胞は活性化しません。深く長い息をしてほしい」と以前仰っていました。

 また、県内のある高校の野球部の監督さんの「選手に深呼吸をたくさんさせると、プレーがまったく違います」という発言も記憶にあります。


 「息」は「自らの心」と書きます。ご自分の呼吸を大切にしていただきたいです。





2020年6月号



 新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。今やすべてのお客様に何らかの影響がある状況です。WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長が「テスト、テスト、テスト(検査、検査、検査)!」と叫んでいた2月に、政府がPCR検査を拡大しなかった(できなかった?)ことが、(専門家ではないですが)私は悔やまれます。しかし、それも今だから言えることでしかありません。これから何をどうするかです。


お客様方にはお願いのお知らせをしましたが、私どもの事務所でも在宅勤務を一部取り入れました。原則認めていなかった、休日出勤の平日への振替も可としました。先月号に書いたように「できることを(探して、探して)やる」しかありません。

 「不要不急の外出を控える」ことで、私が属する税理士会、TKC、同友会も、すべての研修・会合がなくなりました。(皆様方も同様だと思います。)

 そこで私は自問しました。「TKCや同友会の会合は、すべてとは言わないけど、ホントに必要だったのだろうか?」と…。私が考えて出した答えは「多くは必要だった。」というものです。正直、TKCと同友会がなかったら、今の事務所とは似て非なるものにしかなっていません。

けれども、確かにムダな時間はありました。自分から好んで行った訳ではなく、つき合いで出かけた行事、一部の人だけで物事が決まるのに、ただ聞いているだけの会議、ああでもない、こうでもないだけで結論が出ない会議です。再開してもこんな会合は改善を求めるか、行くのを止めようと思っています。

 

 今の世の中は不幸です。にもかかわらず、その不幸の中で、大切なこと、必要なことは何なのか、よくよく見極めることが、限られた人生を大切に生きることにつながる、と私は信じています。不要と不急をごっちゃにしてはいけないです。

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  休店された飲食店業のお客様にお話ししました。「休店となると、人とお酒を飲みに行くことはなくてもいいと思えてしまう。自信を失う社員さんもおられるかもしれません。しかし、決してそうではない。会いたい人と一緒に飲食を共にし、語り合う。そういう幸福の場を提供するお仕事は、世の中に必要です。そのお仕事への誇りを失わないでほしいです。」と…。

 今は「いつか飲みに行こうと思っていた人と、行っとけばよかった。」と思うことが多いです。早く平穏無事な日々が戻ることを強く祈念し、いろんな人と大いに飲みに行けることを私は楽しみにしています。





2020年5月号


 新型コロナウィルスの影響が私どものお客様にも及んでいます。地方都市の岡山も、日本全国、世界とつながっていることを、こんなことで実感させられます。

 先がまだ見えないだけに、監査担当の報告書を読むと、大きな影響を受けておられるお客様のことがとても気がかりです。

 その中で一つだけ悪くない報告がありました。今時点では観光業の次に影響を受けている飲食店業に属しておられるお客様が、「外的要因なので売上への影響は仕方がない部分がある。お店はできるだけのことをして、過敏になりすぎないようにしたい。」と言われたのです。 

 「なるほど、そうか。」と感じ入り、思い出したのが元プロ野球選手で巨人やヤンキースで活躍した松井秀喜氏の言葉です。「どうにもならないこと、ではなく、今、自分にできることに集中するしかありません。」と同氏著の「不動心」にあります。松井氏は「過去の自分はコントロールすることはできません。しかし、未来の自分はコントロールできます。」とも書いています。                                (ヤンキース時代の松井選手)



 また、横浜ベイスターズからレイズに移籍した筒香嘉智選手の「開幕延期は僕たちが左右できない。」という言葉が、326日の日本経済新聞「順風逆風」に紹介されていました。

 記者の篠山正幸氏は「自分ができることは全てやると心に決め、実行する。その積み重ねから筒香のような(一流)打者が生まれてくる。」と記しています。              


 大変にご苦労されているお客様が、ご自分の心だけは穏やかであってほしいと切に願い、この災禍が一日でも早く収束し、世界が平穏な日々を取り戻すことを強く祈っています。

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 さて、先月号で「人々の、世界の人々の幸福のためには、世界は分断ではなく、連帯に向かうことが望ましい、と私は思っています。その理由は、一人の人の誕生という神秘は、すべての人々の連帯があってこそ、起きているからです。」と述べました。

お恥ずかしながら少々大仰な物言いでした。が、私ごとながら、孫が生まれました。

1月には娘夫婦が、3月には息子夫婦が、どちらも男の子を授かりました。

人並みに心配はしていましたが、それこそ、私にできることは祈ることしかありませんでした。こうして二人が無事に産まれてきてくれたことを、神さま仏さまとすべての人々に、ただただ感謝するしかありません。





2020年4月号

     


 野村克也さんの訃報を聞いて、昔のことを思い出しました。前月号に書いた(私が幹事をした)ダンスパーティの会場が東京のサンケイホールで、そのビルのエレベーターで野村さんと偶然一緒になったのです。同じビルにフジテレビが入っていて、当時は同局の野球解説者だったと記憶しています。「話しかけるなよ」という空気満々のしかめっ面でした。野球選手にしては見るからに背が低く(175)、よくぞ超一流の記録を残せたのものだと驚いたのを覚えています。


 エレベーターと言えば、電通の本社ビルで、女優の多岐川裕美さんと一緒になったこともあります。「鬼平犯科帳」での、主人公 長谷川平蔵(中村吉右衛門)の奥方役が印象的です。実物もとってもステキで、しかもこの時は、多岐川さんと二人っきりでした。その空間で吸った空気を、エレベーターを降りてから吐きたくなかったです。


 さてさて、米国では秋に大統領選挙があります。共和党と民主党の候補者選びは始まったばかりですが、無責任に言えば、トランプ大統領はおそらく再選されるでしょう。習近平もプーチンも金正日も健在で、分断の時代はまだまだ続きます。

 しかし私は、人々の、世界の人々の幸福のためには、世界は分断ではなく、連帯に向かうことが望ましい、と思っています。理由は単純です。以前ここに書いたように、一人の人の誕生という神秘は、すべての人々の連帯があってこそ、起きているからです。

  経済も同じです。一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏(ある時講演を聴きましたが、飾らないお人柄が魅力的でした。)が、昨年9月の日本経済新聞「私の履歴書」の最終稿に、こう書かれています。



 「アダム・スミスは『国富論』で自由競争の効用を説く一方、『道徳感情論』では同感の大切さを訴えた。他者への同感という基盤があって、初めて市場競争が意味を持つ、というのがスミスの思想だ。ところが、株主資本主義や金融資本主義がまん延し、人々から同感が抜け落ちている。今こそスミスの原点に戻ろう。」



 ここでいう同感は「すべて賛成すること」ではないと、私は考えます。自分と違う考えを認めることも同感だと、野中先生は考えておられるはずです。                                                    (アダム・スミス像と野中氏)


ちょうど天皇誕生日に、陛下が「多様性に対して私たちは、寛容の心を持って受け入れていかなければならない」と仰っていることも同感だと、私は思量しています。


私たちは、次世代への責務を負っているという意味で、大変な時代を生きています。